選挙当日:重慶で学んだこと

折に触れて思い起こす思い出がある。

18年ほど前、私は中国の四川州、重慶という町にいた。

P1030829_3 時は中国の正月。数億という人達が帰郷するシーズンで、本当はそんな時に外国人が中国国内を移動しようなどと考えてはいけない。

でも、当時、私はその環境(寒さと大気汚染)からか、悪寒、吐き気、咳と三重苦を負っており、重慶という町にもホトホト疲れてしまっていて、一日も早く温かい南の昆明に行きたいと、連日駅に行っては切符を買おうとしていた。

F1000016 それこそ、朝まだ暗いうちから駅に行くのだが、驚いたのは、夜が明ける極寒の駅前には何千人もの人の影が既にあり、彼らが発する息の白さが霧のようになって、その場をおおっているような状況。明らかに窓口に到達するのは数日後ではないかというような状況(仮に到達しても切符を売ってもらえる保証はない)。精神的にも肉体的にもその目に見える現実に連日、打ちのめされていた。

そんな時、私が滞在していた安宿にスペインから来たという若い司祭がいて、フラストレイトしている自分を見かねて、静かにこんな声をかけてくれた。

「こういう時は静かに自分の周りの状況を見極めるんだ。そして、祈りつつ動くんだ」。

髭もじゃの彼の人となりと、太く静かに話す彼のこの一言は私の心に確かに刻まれた・・・。

今日は選挙。多くの人々は現在と将来に不安を感じて変革を叫ぶ。確かに今の状況を思えば、何かしらの変化が必要だろう。でも「自分自身」をいたずらに変化の中に流してしまってはいけない。こんな時だからこそ、あの重慶の宿で話してくれた彼の言葉が聖書の言葉と姿を変え、語りかける。

静まって、私こそ神であることを知れ」 詩篇46篇10節

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