土曜日

金曜日:ジーザスの十字架上での死。
日曜日:ジーザスの復活。

聖書はジーザスの身に起きたこととして、この金曜日と日曜日の出来事を細かく記録している。しかし、これらの曜日にはさまれた土曜日については沈黙を保っている。

十字架と復活・・・。そして、その間の一日、あらゆる感情がジーザスを知る者達の心に去来したに違いない・・・。

私達は現在、まさしく「この土曜日を生きているのだ」と言った神学者がいたが、私もそう思う。ジーザスが再び来るという聖書の預言が成就するその時まで、私達は時に弟子達のあの土曜日の感情を共有しながら生きる弱い存在なのだ。

聖書は土曜日に沈黙している・・・。

沈黙は言葉なのだ。

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そう、「自分の心に手をあてて考えろ」という言葉なのだ。

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