私の手元に「What if Jesus had never been born?」という本があります。

そこには、ジーザスの存在が以下のことにおいて、どれだけ世界にインパクトを与えたのだろうかということが論じられています。
貧困への同情と慈悲
教育
民主主義
自由(人は皆、平等)
科学
職業倫理
家族と性
医学
道徳・倫理
芸術
世界観・人間観
トータルな世界史
これらのリストを見つつ、一つ一つの分野について思いをめぐらす時に、確かに彼が与えた影響は計り知れません。そして、これらの分野こそが私達の人間生活において、どれだけ大きな意味を持つものであるかということを私達は知っています。
加えてジーザスが成した最も大いなることは、人の罪のために自らが十字架にかかり、私達の罪を全て赦してくださったということです(上記のことに人の罪が関わった時に起こる愚行を私達は繰り返し歴史の中に見ることができます)。
個人、教会、団体、国家はジーザスのおよそ3年半の公生涯について記録された言動に心を動かされ、前述のような分野において不可能と思えることを可能にする力と知恵を彼から受けたのです。
マック
追伸:ところで、ジーザスは2000年前に地上に生きたお方です。しかも、その公生涯は3年半です。常識的に考えて、この驚くべき影響力は可能ですか?もし、人の常識を超えているなら、その時に考えられることは・・・・。
基本的な質問です。ジーザス クライストがイエス キリストでしょ?で、ゴッドが神様でしょ?公生涯 3年半ってどういう事?
さんぼ
コメントありがとう。
「ジーザスとイエス・キリスト」について
そうです、ジーザスとイエスは同じです。そして、バイブルは父なる神(天地万物を創造された神)と、その子としてのジーザス(十字架に架かり、復活された神)、そして、目には見えないけど、今も私達と共にいてくださる聖霊なる神があり、この三つをして一つの神だというのです(よく「三位一体」という言葉が使われるけど、それは小泉さんの構造改革のことではなくて、ここからきています)。
そして、この三位一体だけど、あまり考え過ぎない方がいいと思うよ。しょせん時間枠の中に生きていて、重力に支配されているようなワシ等の頭じゃ分からん事だから。分かっちゃったらその時点で、その存在は人の頭に収まりきるものであって、神とは呼べないでしょ。だから謙虚に頭を垂れて信じ受け入れる以外ないと思うのです。
「三年半の公生涯」について。
ジーザスが生まれたのがクリスマスだよね。それからジーザスがその教えを始めたのがその年、約30歳からで、聖書はそれまでの年月に沈黙を保っています(少年時代の一つの出来事を記録している以外は)。そして、イエスが十字架に架けられたのがその年、33歳を過ぎてからなので、聖書が記録しているイエスの言動というのは、彼の30歳からの3年半の出来事でしかないんだよ。
ということは、このブログに書いた諸々の事柄に影響を受けた人達というのはジーザスの3年半の生涯に心を揺さぶられたということになります。そして、今日もそのような人達が世界中で起されているんだけどね。
そこで、疑問。一人の人間がその生涯3年半になした言動が2000年後の人間にどれだけ影響を与えられるかということ。
もっと具体的に言えば、2000年前に存在した会ったこともない方の3年半の言動に影響されて、ワシが祖国を離れてカリフォルニアに住んでいるということ、そして、世界にはそんな人が今日も無数にいるということ、これは常識的に考えられることなのだろうか。
私に関して言えば、これから3年半でせいぜい私のウエスト周りが5センチ減るとか、韓国語が少し分かるようになりました程度で、何億もの人の生涯を変えることは無理ということ。ましてやその影響が1000年後に生きる人にも脈々とありますなんて、もう笑わせるな!の世界。せいぜい、子供達に「オヤジとの思い出は大切にしておこう」と思われる程度でしょ。
ということは、このジーザスは一体何者なのか?ということであり、聖書は彼を神としているのです。
サンキュー!良く分かった!
もともと宗教っていう響きだけで色眼鏡でものをみてきたから、基本的な事をしらないんだよね。三位一体で神なんだ。今は、色眼鏡がとれたから素直に受け入れられそうだよ(笑)、たしかに人間が考えて理解できちゃったら神とは言えないね!
3年半っていうのも驚きだ! 漠然と、何十年もかけて色々なところで教えていたもんだと思ってたよ。
今日のブログの、病院で母国語で話し掛けて下さいって、いい話だね。医療の技術だなんだって、色々あるけど、こういう思いやりがなければ意味がないんだろうね。
さんぼ
読んでくれて嬉しいよ!
宗教って言葉は、あまり好きじゃない。キリスト教って言葉すら、あまり好きじゃない。そういう言葉の中に窮屈に生きることではなくて、のびのびと生きることができるということがジーザスと共に生きることじゃないかと思うんだ。
日本語を必要としている人達に、日本語で語ることが出来るということは大きな喜びだよ。だから、日本にいる時以上に、「日本語」をいつも意識するようになったよ。