悔い改め

先週の礼拝メッセージより。

今から2000年前、イエス・キリストが公にそのはたらきを始める前に、キリストの露払いをするかのように荒野で叫ぶ一人の人がいました。私達は彼を今日、バプテスマのヨハネと呼んでいます。

このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。すると、エルサレムとユダヤ全土とヨルダン附近一帯の人々が、ぞくぞくとヨハネのところに出てきて、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言った、「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。だから、悔改めにふさわしい実を結べ」(マタイ3章4節ー12節)。

このヨハネが「悔い改めの実を結びなさい」と荒野で叫んでからしばらくして、イエス・キリストは神の福音を宣べ伝えるべく、その第一声をあげました。キリストはどんなかけ声と共にその宣教活動を始めたのでしょうか。『時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ』(マルコ1章14節、15節)。

後、イエス様が自ら選んだ12人の弟子達を呼び集め、ふたりずつをそのはたらきに遣わされた時に彼らは『出て行って悔い改めを宣べ伝え』(マルコ6章12節)、使徒行伝において人々が聖霊を受けた直後に人々がペテロに「わたしたちはこれからどうしたらよいのでしょうか」と問うたところ、彼はこう答えました『悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい』(使徒行伝2章38節)と答えました。

 パウロがあのアテネのアレオパゴスにおいてギリシア人を前に語ったことは神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる』(使徒行伝17章30節)という言葉でした。ミレトにおいてエペソの教会の長老を前にパウロは自分がこれまでしてきたことは何なのかということをこのように説明しました『ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、強く勧めてきたのである』(使徒行伝20章21節)。

 ユダヤの領主、アグリッパを前にパウロが弁明を許され時に彼はそこでも、それまで自分が何をしてきたかということをこのような言葉で言い表しましたまず初めにダマスコにいる人々に、それからエルサレムにいる人々、さらにユダヤ全土、ならびに異邦人たちに、悔い改めて神に立ち帰り、悔改めにふさわしいわざを行うようにと、説き勧めました』(使徒行伝26章20節)。

 確かにあの放蕩息子は汚い体を洗い、服を変えてから父のもとに帰ったのではなく、彼はありのままの姿で帰宅しました。しかし、実際に父の元に帰る前に彼は父のもとに帰ってこう言おうと心に決心したのです『父よ、わたしは天に対しても、あなたに向かっても罪を犯しました』(ルカ15章18節)。彼はこの悔い改めと共に、文字通りありのままの姿で父のもとに帰ったのです。

はたして私自身、一年間に何度「悔い改め」を語っているのか。教会は今、最も大切なことを見過ごしているのかもしれません。

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