いつも楽しく読ませていただいているシカゴ在住のはちこさんのクリスマスイブのブログにとても興味深いことが書かれていました。
それによるとワシントンポスト紙が世界的に有名なJoshua Bellというバイオリニストに、ワシントンDCの地下鉄の乗り換え通路で、ストリートパフォーマーとして45分間、バイオリンの演奏をしていただいたということ。

その時のジョシュアさんのいでたちはジーンズ姿に帽子を深くかぶり、足下にはバイオリンケースを置いて、3億6000万円もするStradivariのバイオリンを弾いたとのこと。
しかし、ジョシュアさんが演奏したその間に、彼の前に一分以上、足を止めた人は(1400人がその場を通り過ぎたにもかかわらず)、20人ほどでその間にバイオリンケースに投げ込まれた小銭は30ドルほどだったとのこと(彼はその数日前にも演奏会があったばかりで、その席は一番安い場所でも100ドル以上、しかもそのコンサートチケットは完売!)。そして、この間に彼がかの有名なジョシュア・ベルだと気づいた人はたった一人だったとのこと。
はちこさんは「この実験の狙いは、人は真の芸術を、立派なコンサートホールや著名な演奏家という肩書き抜きでも、感じることができるものなのか、それとも人間の芸術に対する審美眼はそのような外的な要因に因るものなのか、ということを実証することだったらしい」と書いている。
なんともトホホな私達の五感。本物を見分けることに本当に、ほんとぉーに疎い私達・・・。そして、あまりにも忙しい(余裕のない)私達・・・哀・・・。

マック
追伸:その時の説明と映像
学生時代に抽象画の価値は、高級ホテルの壁に掛かっているか、超・田舎のハイウェイ沿いのモーテルの壁に掛かっているかで見極めがつくのだ、と言ってる人がいた。
たしん
たとえそれがピカソの描いた本物であっても「超・田舎のハイウェイ沿いのモーテルの壁」に掛けられた絵なら、誰も気がつかないのではなかろうか。
というよりも、もう完全に私達の五感はそのモーテルにチェックインした時からシャットされていて思考能力は限りなくゼロに近いのではなかろうか。
そう考えると人間の評価などというのも、たいしたことないものなのではなかろうか。だから、あまり人の評価を気にする必要もないのではなかろうか。
これはこれは「なかろうか」づくめの駄文ではなかろうか。
追伸:ところでたしん、フィリーズに移籍したの田口壮選手がお店に来たら、よろしく伝えてくれ。
何年も前にドジャースだかの石井投手という人が来た時、基本的に格闘技以外のスポーツ選手は殆ど知らない俺だけ分かってなくて、一緒にいた身長165センチぐらいで体重90キロぐらいのスキンヘッドの日本人を「ピッチャーらしくないなあー」とチラチラ、見ていたことを考えれば、あまり期待しないでほしい。
明日は二大格闘技イベントの大晦日なので、その辺の情報で世俗牧師的に感動することがあったとしてもアップは控えてくれ。頼む。
もしかすると、もしかするかも、と考えていたトッキーニョの出場はなかった。だけど師匠の一人、ムリーロ・ブスタマンチが出るので憧れの日本の地を踏むこともあるやもしれぬ。
たしん
そうか、分った、あまり期待しません。そして、格闘技イベントのアップはしません。約束します(確か以前、言っちゃったんだよね)。そちら方面はワタクシも詳しくありませんので。でも、トッキーニョは気になるな。
とても興味深いですね。外側に騙されやすいってことでもありますよね。律法学者、パリサイ人からみて、ジーザスは、偽者に見えたんでしょう。世俗牧師は、外側でなく、いつでも質で勝負してますね。本物のにおいがしてますよ。!(^^)!
Kobaken先生
明けましておめでとうございます。そちらは真夏ですね。外なる人は滅びますが(わが身を見ながら実感しています)、内なる人は日々新しくされていくという聖書の言葉を大切にしたいですね。