予定していました死海写本見学に行ってきました。丸一日かけてイスラエルまで行くこともなく、車で5分もかからないミュージアムにあちらから来てくれたということは何とも贅沢な話です。この度の参加者は総勢27名。さながら「サンデイェゴ教会死海写本ツアーご一行様」といったところでしょうか。
予想していた以上のことがそのセキュリティー。けっこう念入りに調べられ、全てパスすると手にスタンプがおされます。「スタンプ」にすかさず反応した私の前にいたスキンヘッドのおじさんは突然、帽子をとり、頭にスタンプしてくれとのこと。係員の顔は引きつり、「そ、それはできません!」とのこと。世の中には色々な人間がいるものです(笑)。
おっと、脱線・・・。
写本はとにかくスゴイの一言。クリスチャニティーというものがあらためて「言葉」を中心としているのだということを確認しました。私達の信仰というものが「ああーいい感じ」という「Feeling」ではなくて(Feelingは明日変わってしまうものです)、「言葉」が何千年来、書き写されて今日、私達の手元にバイブルがあるのだということ。
そして、その言葉が何度も何度も私達の心に語られて、刻まれていくということは、とてつもないことなのだなと思ったのです。何千年来、アンタイ・クリスチャニティー的なものが出てきますが、今日までそのようなものを物ともせずに、現在のクリスチャニティーがある理由を、本日確認することができました。

「天地は滅びるであろう。しかし、わたしの言葉は滅びることがない」 マルコ13章31節
マック
そういう事だったのか・・・死海写本って、死海の写真集かと思ってたよ(笑)仏教に写経ってあるけど、写経しても意味がわからないし、それでご利益があるのか・・・
お経っていうのも、きっといい事がかいてあるんだろうけど、今の人には、眠くなる音楽だよね、そのてん教会は、ちゃんと勉強して今の人に分かるように伝えているのは凄いよね。
今度、七五三に行くんだけど、神社に行ってもお祓いで名前呼ばれておしまいだ・・・何の有り難いメッセージもない。お坊さんとか、神主さんから有り難いメッセージなんてあんまりもらわないね。法事でもお経を読んで終わりだし・・・儀式は儀式で必要だとは思うけど、あんまり形だけでもね・・・・
さんぼ
コメントをありがとう。
いつも色々と考えさせられて教えられるよ。
聖書のヨハネによる福音書のみ開きにはこんな言葉が記されているんだよ。「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった・・・。この言葉に命があった。そして、この命は人の光であった。光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった」。
大切なことは具体的なものでなければならないと思うんだ。そして、この場合の具体性とは相手がわけも分からなく唱える呪文ではなくて、相手の心に伝わるものであるべきだよね。
そして、それは「言葉」なくして不可能でしょ。言葉は私達のキッチンでもオフィスでも、自分の個人的生活に今日から十分にインパクトを与えるものだからね。
追伸:今日、全世界で2426の言語に聖書は訳されています(分冊、新約聖書、旧約聖書のみも含んで)。私達は「言葉に命があった」ということを真剣にとらえています。参考:http://www.wycliffejapan.org/vision/