たとえばそれがどんなアスリートであっても、彼らは控え室からフィールドに続く通路を歩いていく。そこを歩く時、彼らの心は、これから繰り広げられるゲームに向けられていくに違いない。
私にもそんな道がある。ゴールデンヒルと呼ばれる一角から、ダウンタウンを見下ろす坂道。

そこを朝ごとに下りながら、街を眺める時、私は神に祈る。「今日という一日を祝福してください」。祝福を祈る時に遠慮してはいけないと思う。我が子の祝福を願わない親がいるだろうか(そうとも言い切れない世ではあるが)。そして、神は祈りに応えて下さるお方なのだから。
「あなたは祝福の基となるであろう」 創世記12章2節
マック
追伸:坂の上から見える光景は朝日の照り具合により日毎に異なる。私の一日も昨日や明日と全く同じものではない。「今日」という日は今日一日だけである。
「だから明日のことを思い煩うな。明日のことは、明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」 マタイ6章34節
わたしにも、そんな「いつもの道」が、ありました。(テッドで降りて、家に向かうテッド上・・笑)今も、ここにきても、道ではないけど、そういう場所が、あります。
どちらも、空を、光を、近くに感じるところです。
fkm1225さん
そうですか、テッドですか。ローカルな話ですね。私の道も空と光が開ける場所です。