数日前にブックオフで開高健の「海よ、巨大な怪物よ」を買って帰ったと書いた。なぜ、開高健なのか、いくつか理由がある。
1 彼が秘境を巡っていた人であったこと。
2 彼がとてつもない釣りをする人であったこと。
3 彼はよく聖書を読んでいる人であったこと。
1、2は極めて個人的なことなので置いておいて、3に関しては昔からとても興味があった。彼はクリスチャンではなかったのだが、ワイルドで型破りな作家が聖書をどう思っているのか。そんなことを考えながら「海よ・・・」のページをめくっていると・・・。
ありました、ありました、こんな一文が。
海外へ苦しくてつらい旅行に出る時はいつも旧新約聖書を持っていくことにしている。・・・某日、「創世記」と「黙示録」の二つを同時に読んでみたら、いささか異様な感触が脳皮にのこった。私ほどのすれっからしの年齢の人物、字を読むことと書くことで心が過飽和になっているはずの人物でもそうなるのだから、やっぱりこれはちょとした記述といわねばなるまい。欧文脈と漢文脈と和文脈の三脈の完璧な統一と昇華がここにあって、一言半句、ことごとく本質である。さすが、といえる。頁の背後にある、その、精神のリズムが。気迫が。【 開高健 「海よ、巨大な怪物よ」より】
私は聖書の“本質”、“頁の背後にある精神のリズム”、“気迫”をどれだけ感じているか?読んでいるか?語っているか?
Thank you, Mr. Kaikou.
マック