アメリカ再考

今日は息子の予防接種があり病院に行ってきた。我が家の三人の子供達を診ていてくれるドクターなので、彼とはもう顔なじみになっている。お決まりのように息子は一時、激しく泣き、無事に彼の試練は終わった。「何か質問はあるか」というドクターの質問に「子供が乾燥肌で・・・」ということを話すと「分かった、じゃ、後てクリームをあげるよ」と言って、部屋を出て行った。数分後、再びそのドクターが現れ、私の前に小さな箱を置いていった。それはEucerinというクリームのサンプル商品で、箱の中にはクリームが17個も入っていた。おそらく使い切るのに数ヶ月はかかるだろう。こういうのをサンプルと言えるのだろうか。

アメリカにいるとこれに似たことを体験する。例えば、マクドナルドに行き、バリューメニューをドライブスルーでオーダーしたとしよう。その時に、私は必ずダイエット・コークをオーダーし、フレンチフライのためにケチャップを頼むことになる。そうすると、確実にケチャップを袋に入れてくれる。そこまではいいのだが、袋を開けてみると、いつも「やっぱりそうか・・・」というような気持ちになる。つまり、ケチャップの数が多いのだ。ただ、多いというのではない、過剰に多いのだ。その紙袋に入っているフレンチフライは一つだけだ。それに対して、多い時は10以上のケチャップが入っているのだ。もし、フライにこのケチャップを全部かけるということになると、フレンチフライの姿はケチャップで消えてしまうであろう。我が家はこの過剰なケチャップがあるゆえに、ケチャップを買う必要もなく助かってはいるのだが・・・。ちなみに、これと同じことはコーヒーをオーダーした時のシュガーとミルクにもあてはまる。一杯のコーヒーに対して、いくらなんでも10個のシュガーと5つのミルクはいらないだろうと思うだが。同じことが銀行でも行われるなら、色々と助かるのだが、今のところそんなことはなさそうだ。

この現象は特にサンデェイゴで見られるものだけではなく、アトランタでもニューヨークでも見られる現象なのである。いまだに私はこのアメリカ合衆国で起きている現象についての確固たる答えがない。いくつか思い当たることを挙げてみると・・・。

人々はとても気前がいいのだ。
人々はとても浪費家なのだ。
人々はそのようにするようにというマニュアルに従っているのだ。
人々は実際にそれだけの数のケチャップ、砂糖、ミルクを一度に使いきっているのだ(これはコワイ!トォッテモ コワイ!)

誰かこの辺りのことに対して「試してガッテン」じゃないけれど、合点のいく考えをお持ちの方おりませんか。結構、アメリカの心が見えてくるかもしれませんね。

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アメリカ再考」への2件のフィードバック

  1. こちらAUのシドニーでも同じ現象があります。日本では、店員に言わないともらえないソース類。しかも一つ。これが当たり前だと思っていた私にはカルチャーショックでした。私の感想は「やはり資源の豊かな国、自国だけでも食っていけるという豊かさのある国は違うな~。こういうところじゃ、ケチらないもんな~」でした。本当のところはどうなんでしょうね。

  2. そうですかー。これは世界的な現象なのですね。こういうところから経費削減はなされると思うのですが・・・。全ての店舗での無駄は計り知れないと思います。ただただ不思議です。

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