謙遜

私の敬愛します師が謙遜ということについて唸らせる定義をしていたのを時々、思い出します。謙遜というと私達は「ふつつかな者ですが」とか「いたらない者ですが」などという言葉使いや、腰を低くして、ニコニコ顔で頭をペコペコ下げる人の様を思い浮かべますが、その師は真の謙遜とは、そのようなものではなく、その人が「人を褒めることができるか否か」で分かると言うのです。

そう言われて考えれば、考えるほどに「うーむ、いかに」と頷けるのです。その人が本当に謙遜であるならば、いかなる人間でも褒めることができるのです。反対に自分の鼻が高い時には、どうしてなかなか人を褒めるなど口が裂けてもできないものなのです(これ、本当ですよ、意識して一週間、自分の心を観察してみてください。「い、いま、この人を褒めることができるか、いいや、どうしてもできない!」っていうような時、結構、私たちの鼻はピノキオとなっております)。私はこの知恵を知って以来「本当に謙遜な人」ということに対する尺度が変ってしまったのであります。そして、私も本当に謙遜な人になりたいなと神に憐れみを請う一人の人間なのであります。

マック

追伸:ところで聖書の中で最高の美徳は謙遜なのであります。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村 ↑↑ キリスト教ブログランキングに参加しています。
よろしければ応援クリックをお願いします。

謙遜」への1件のフィードバック

  1. 昨日、三浦綾子さんの本を読んでいたのですが、そこの中にも「褒める」ことについての綾子さんの様々な思いが、聖書の見言葉や、身近な方、牧師先生などを通して、書かれていました。そこに共通していたことも、やっぱり『謙遜』でした。。。イエスサマが、なにかわたしに伝えて下さろうとしているのかな。。。とふと思いながら、昨日は、ベットに入りました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください