針金

よくモールなどに行くと建物の高いスペースに「あそこに落ちたら、そりゃ痛いだろうね、辛いだろうね」というような、幾百もの針金が刺してあるのを見かける。最初は何だと思ったが、あれは鳩やカラスがそこにとまることのないように、そして糞害にあうことがないようにという人間からの警告のようだ。

よくフリーウエイを走っているとあの緑色の道路標識を支える鉄柱に「ここから先はよじ登れんよ、登りたかったらやってみなさいな」というような、そりゃ見るからに痛々しい針金が巻かれているのを見かける。最初は何だと思ったが、あれはあの柱によじ登り、あの緑のサインに落書きをする者たちへの行政からの警告のようだ。

私は、鳩やカラスが「それでもワシらは負けんからね」とあの針金の上にとまっているのを見たことはない。一度も。

私は、フリーウエイを走っていると一年に3回くらい、「オイオイ、そんな所によじ登って、そんな所に落書きをしてしまったのかい。いつも通っている道だから、困りはしないけれど、一体、君はいつ、どんな格好をしてそこによじ登ったのかい」と思わせられる落書きを見ることがある。

おそらく、彼らは多くの人がスヤスヤ眠る時に、ゴソゴソとその鉄柱によじ登るのだろう。もしかしたら、その前を何度もとおり、色々と作戦を立て、見張りまで立てて、そうするのだろう。鳩やカラスもそんな時間は眠っているに違いないが、自分達は決して試みないことをする、このチャレンジングな人間を見て何を思うのだろう。

時 間 の 使 い 方 に も 色 々 と あ る。
命 の 使 い 方 に も 色 々 と あ る。

ジーザスは言った「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命を捨てる」(聖書 ヨハネ10:10-11)。

時 間 の 使 い 方 に も 色 々 と あ る。
命 の 使 い 方 に も 色 々 と あ る。

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