時々、羅府新報に原稿を書かせていただいています。以前、ブログでも取り上げたような内容なのですが、先週はこんな記事を掲載していただきました。
ここ数年、日系書店に並ぶ書籍の中によく「白洲次郎」という名前を見かけます。あまりにもあちこちでその名前を見聞きしますので、彼に関する本を数冊読んでみました。
1945年、終戦を迎え、白洲は戦勝国であった連合国最高司令官総司令部(GHQ)との交渉にあたった人で、この交渉に対して、当時の日本政府および日本人がとった姿勢とは異なり、彼は培ったプリンシパル(原理原則)にのっとって堂々と交渉にあたり、GHQ要人をして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめたといいます。
彼について記された本を読んでいますと、何度も上記のプリンシパルという言葉を見出し、さらに読み進めていくと、その彼の人生そのものがこのプリンシパルにのっとって形造られてきたものであることがよく分かりました(彼がその心中、どのような原則をもっていたのかその核心について私は分かりませんが)。
今日なぜ彼の名前が取り上げられ、彼の生涯をつづった本が売れているのでしょうか。きっと、それは彼が自分のプリンシパルをしっかりともって、自分の頭で考え、自分で決断して、責任をもって主体的に生きたことに日本の方たちが惹きつけられているのではないかと思うのです。
さらに、最近「日本国民は決断できるリーダーを求めている」というような日本の新聞記事も読み、内心、驚きました。なぜなら、アメリカではリーダーが決断するということは当たり前のことであって、それはあえて国民が希望するようなことではないからです。この背景には私達日本人がプリンシパルを求めながらも、それを見つけることに困難をおぼえているという現実があるのではないかと思いました。
私達の生きる世界は日々、めまぐるしく変化しています。しかし、時代は変われども、聖書はこれまで加筆、訂正されたことなく今も昔も変わらずに私達の手元にあります。数え切れないほど多くの人達が、この聖書の原則に照らし合わせて、祈り、考え、そして決断へと導かれてきました。本来、優柔不断で失敗多きこの者ですが、私も今、この聖書にめぐりあい、それを己がプリンシパルとして日々、暮らしています。自分は確かにここに立っているという、あなたのプリンシパルは何ですか。
「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう」。聖書:ヨシュア1章8節
マック
はじめまして
この記事とは関係ないのですがアメリカ人がどのような気持ちで信仰生活を送っているのか知りたいです。
理由として
RFIDの小型を注射針で体内に取り込まないといけないことなど様々な疑問があります。
メールでやり取りできたらうれしいです
ちよさん
はじめまして
コメントをありがとうございました。「アメリカ人がどのような気持ちで信仰生活を送っているのか」私も興味があります。よろしかったらメールを送ってくださいませ。
mmokura@gmail.com