録画しておいた「プロフェッショナル 仕事の流儀 特別編」を観ました。この度は「ドラえもん」の生みの親である 藤子・F・不二雄こと藤本弘さんです。
私は小さい頃、漫画はよく読みましたが(「まことちゃん」、「リングにかけろ」、「魔太郎がとおる」、「おろち」、「暴力大将」、「男組」、「漂流教室」・・・けっこう、怪しいジャンルです 笑)、最近はほとんど読みません。しかし、漫画家という仕事には興味があります。なぜなら、
1)毎週、締切りがあるということの共感。
2)毎週、白紙から作業に取りかかることの共感。
3)毎週、頭と心にあるアイデアをアウトプットしなければならないことの共感。
1)について。やはり藤本氏は天賦の才能があるのだと思いました。幼少の頃に「めばえ」から始まり「小学一年生、二年生、三年生」・・・という月刊の教育雑誌がありましたが、氏はその全てに年齢にあわせたドラえもんを毎月、投稿していたというのですから・・・。
2)と3)について。1)のような絶え間ないアウトプットがありますと、アイデアは必ず枯渇するものです。そのところをどう補っているのかということが一番興味がありましたが、この番組は見事にその疑問に藤本さんの言葉をもって答えてくれました。
『漫画ってものを分解してみますと、結局は小さな断片の寄せ集めなんでありますね。本を読んだりテレビや映画を見たり、新聞を読んだり人と話したり見たり聞いたり。絶えずピッピと感性に訴えるものがあって、あれが使えそう、これが使えそうと捨てたり組み合わせ直したりそういう作業の結果、1つのアイデアがまとまってくるんです。なるべくおもしろい断片を数多く持ってた方が「価値」ということになるわけです』
藤本さんの書斎には膨大な落語のテープ、古今東西の映画のビデオ、ジャンルを問わないあらゆる種類の本が積み上げられていました。藤本さんはこれらのものを内に取り入れ、そこに自らの感性や経験を混ぜ合わせ、皆に愛される作品を次々に世に生み出したのでしょう。
そういえば同じようなことを 黒澤明監督も言っていました。監督は映像を作り上げている要素は「創造」ではなく「記憶」だと言っています。
『創造というのは記憶ですね。自分の経験や色々なものを読んで記憶に残っていたものが足がかりになって、何かが創れるんで、無から創造できるはずがない』
黒澤監督ともなれば、自分の作品は全て前例のない無からの創造によるものだと言うことができたでしょうし、そのように言われれば周りにいる者達もそう認めたことでしょう。しかし、監督はしっかりと人間の創造というものの本質を見抜いておられました。明日から始まるメッセージシリーズ、「箴言」の著者ソロモンはこう記しています。
『先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。「見よ、これはあたらしいものだ」と言われるものがあるか、それは我々の前にあった世々に既にあったものである』(聖書:伝道の書一章9節-10節)
既に先にあったものを取り入れ、それを己が状況に適応・応用する。これが知恵なのでしょう。
マック
追伸:やっぱり最後は「感性」なんだと思います。一つのものを見ていても何も感じない人もいれば、そこから10のことをイメージすることができる人もいます。感性は育つもの(育ち続けるもの)だと信じています。