日曜日を目指す

calendar四年に一度のオリンピックがまもなく始まろうとしています。各国の代表選手は最後の調整に入っていることでしょう。それにしても「四年」とは長い年月で、その間にオリンピックは一度しか開かれないのですから、四年間の努力が発揮される「その日」はなんと選手たちにとって大切な一日なのでしょうか。言うまでもなく彼らはその日のために多くのものを犠牲にして四年間を費やしているのです。

最近、思います。自分の一週間は日曜礼拝を目指していると。私達の教会の場合、それは日曜日の朝九時を指します。知らぬうちに、その時を目指して一週間の予定をたてている自分に気がつきます。たとえば先週のように一週間まるまる対外的なものに費やされるような週を過ごすとしても私の目指すところは日曜礼拝なのです。もし、自分の生活の中に節制というものがあるとするならば、それは日曜の朝九時に心身ともに最高のコンディションで迎えるためのものです。 そして、その礼拝が終わったら、すぐに次週の日曜礼拝を目指す毎日が始まります。

もちろん礼拝とは日曜日のことだけではありません。私達は毎日、主を礼拝しています。しかし、神様が人に与えられたこの安息日を自分の一週間の中にこのように位置づけ、それに基づいて暮らす時に、これこそがやはり私にとって最もさいわいな生き方なのだと思うのです。

マック

追伸:週の半ばに持たれています私達の教会の定例水曜集会、木曜集会は一週間の中のハーフタイムのようなもので、集会場はロッカールームのようなものです。ここで主にある兄弟姉妹と聖書の御言葉に向き合い、祈り、また私達は週の後半のピッチに立つのです。

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