モーセは敵地に12人のスパイを送りました。多くの者は言いました。、「わたしたちはその民のところへ攻めのぼることはできません。彼らはわたしたちよりも強いからです・・・。わたしたちには自分が、いなごのように思われ、また彼らにも、そう見えたに違いありません」。
それに対してヨシュアは言いました「わたしたちが行き巡って探った地は非常に良い地です。もし、主が良しとされるならば、わたしたちをその地に導いて行って、それをわたしたちにくださるでしょう・・・。彼らはわたしたちの食い物にすぎません。彼らを守る者は取り除かれます。主がわたしたちと共におられますから、彼らを恐れてはなりません」。
彼らは全く同じ光景を見てきたのです。しかし、彼らのコメントは全く異なるものでした。なぜ、このような違いが生まれたのでしょうか・・・。
マック
今日、礼拝でお話したメッセージです。よかったらどうぞ。↓
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学び、実践し、残す 2010年12月5日
私達は「杭を強固に、幕を広く、綱を長く」という標語と共にこの年度を歩んでいます。そして、現在は「拡張工事中」というメッセージ・タイトルと共に「私達の幕を広く、綱を長く、あともう一歩、前に出よう」という目標をかがげ、これから二月まで聖書の中からメッセージを語らせていただいております。そんな私達が今朝、注目したい人物はイスラエルのリーダーであったヨシュアという人です。
先週はエジプトに奴隷となっていた数百万ものイスラエルの民を率いて、エジプトを出て荒野での旅路についたモーセについてお話しました。そのモーセも永遠に生きる人ではありませんから、そのはたらきを継ぐ者について考えなければならない時がきました。そして、その人こそがヨシュアだったのです。このところから今日はいくつかのことを見ていきたく願っております。まず最初に「力は神からくる」ということを確認しましょう。
力は神からくる
人の世界には常に「駆け出し」という時があります。何かを身につけている人というのは皆、かつて誰かのもとでその技や知恵を学び、やがて一人立ちしていくものです。同じように、このヨシュアという人も、まずモーセの側に仕える若者として姿をあらわします。後にイスラエルを率いるリーダーになる彼ですが、そんな彼も最初は僕として踏み出したのです。まず、よき僕とならなければ、よきリーダーになることはできません。人に従うことを学ばなければ、人を導くことはできません。彼はモーセのもと、多くのことを学びました。そして、そんな彼が学んだ最も大切な経験はアマレク人との戦いであったということが出エジプト記17章9節-16節に記されています。
9モーセはヨシュアに言った「われわれのために人を選び、出てアマレクと戦いなさい。わたしは明日、神のつえを手に取って、丘の頂に立つであろう」。10ヨシュアはモーセが彼に言ったようにし、アマレクと戦った。モーセとアロンおよびホルは丘の頂に登った。11モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った。12しかしモーセの手が重くなったので、アロンとホルが石を取って、モーセの足もとに置くと、彼はその上に座した。そしてひとりはこちらに、ひとりはあちらにいて、モーセの手をささえたので、彼の手は日没までさがらなかった。13ヨシュアは、つるぎにかけてアマレクとその民を打ち敗った。14主はモーセに言われた、「これを書物にしるして記念とし、それをヨシュアの耳に入れなさい。わたしは天が下からアマレクの記憶を完全に消し去るであろう」。15モーセは一つの祭壇を築いてその名を「主はわが旗」と呼んだ。16そしてモーセは言った、「主の旗にむかって手を上げる、主は世々アマレクと戦われる」。
その時、イスラエルはアマレク人と戦いの最中にありました。モーセはそのためにヨシュアに、アマレクとの戦いに出るようにと命じるのです。言われた通りにヨシュアはその戦いに出て行きました。彼は軍人ですから、戦い方というものを知っていたと思います。綿密な戦略をたて、日ごろから訓練した者達と共に戦いに臨んだことでしょう。そして、その戦いに勝利をとりました。もしかしたら、その時に自分達もまんざらではないと思ったかもしれません。
しかし、意気揚々と自陣に帰ってみると、主がモーセに「これを書物に記して記念とし、それをヨシュアの耳に入れなさい」(14)と言われたように、ヨシュアが戦っている間にモーセが手を挙げて神様に祈っていたということ、すなわちモーセがその祈りの手を挙げている時にはイスラエルが勝ち、手を下げるとアマレクが勝ったということを知らされたのです。それゆえに、その戦の勝利はヨシュアとその軍隊の力によるのではなくて、ひとえにモーセの祈りに応えた神様の力によるものであったということを彼は知るのです。
この時にヨシュアは、戦の勝敗は戦術や兵士の力によるのではないということを学んだのです。勝利とは人の力によるのではなく、それは神から来るものなのだということをヨシュアはモーセから大切な任務を引き継ぐにあたり、学ばなければならなかったのです。神様はモーセの後をリーダーとして生きるヨシュアにこのことをまずしっかりと心に刻むことを望まれたのです。
詩篇20篇はイスラエルの二代目の王であったダビデによって書かれたものですが、それは王の出陣式に祭司が捧げた取り成しの祈りが原型となっていると言われています。その中に「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらはわれらの神、主の御名を誇る」(7)という言葉が書かれています。ダビデは大きな力を有する王でした。しかし、彼もその本当の力は自分のものではなくて、神からくるものであるということを知っていたのです。私達にも寄り頼むものがそれぞれあるでしょう。強みとなるものといってもいいかもしれません。しかし、私達はそれらに全く寄り頼むのではなく、万軍の主のはたらきに委ねようではありませんか。
ゼカリヤ4章6節には「これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである」とありますが、まさしく私達が成そうとすることは私達の権力や勢いによるのではなく、神の力であるということを心に刻もうではありませんか。私達がその幕と綱を広げる時に、それをなしてくださるお方は神であるということを、そのことをまず私達は踏まえて、それから私達は自分の最善をなす必要があるということを知ろうではありませんか。次に「学んだことを生かす」ということを見ていきましょう。
学んだことを生かす
神様は私達が学んだことを、実践すべくいつもその機会を与えられるお方です。私達にとって最高の学習方法は、習ったことをすぐに他者に教えることだと聞いたことがありますが、私達は学んだことを実践することによって、それが私達の血となり、肉となります。
ヨシュアにもすぐにその機会がやってきました。その時、イスラエルの全軍はカデシ・バルネアまで進んでいました。モーセは敵情を探らせようとして、ヨシュアを含んだ 12人のスパイを遣わしました。彼らは帰ってきて、モーセにこのような偵察報告をしました「28しかし、その地に住む民は強く、その町々は堅固で非常に大きく、わたしたちはそこにアナクの子孫がいるのを見ました。29またネゲブの地には、アマレクびとが住み、山地にはヘテびと、エブスびと、アモリびとが住み、海べとヨルダンの岸べには、カナンびとが住んでいます」。30そのとき、カレブはモーセの前で、民をしずめて言った、「わたしたちはすぐにのぼって、攻め取りましょう。わたしたちは必ず勝つことができます」。31しかし、彼とともにのぼって行った人々は言った、「わたしたちはその民のところへ攻めのぼることはできません。彼らはわたしたちよりも強いからです」。32そして彼らはその探った地のことを、イスラエルの人々に悪く言いふらして言った、「わたしたちが行き巡って探った地は、そこに住む者を滅ぼす地です。またその所でわたしたちが見た民はみな背の高い人々です。33わたしたちはまたそこで、ネピリムから出たアナクの子孫ネピリム(巨人)を見ました。わたしたちには自分が、いなごのように思われ、また彼らにも、そう見えたに違いありません」(民数記13章28節‐33節)
これから私達はフルーシーズンに入っていきますが、私達が感染されるのは風邪ばかりではありません。不安とか恐れ、もっといいますと不満というものも人から人へと感染するものです。一人のつぶやきが幾千もの人達に感染することがあるのです。この報告を受けたイスラエルの民達はどうしたでしょうか。
1そこで、会衆はみな声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。2またイスラエルの人々はみなモーセとアロンにむかってつぶやき、全会衆は彼らに言った、「ああ、わたしたちはエジプトの国で死んでいたらよかったのに。この荒野で死んでいたらよかったのに。3なにゆえ、主はわたしたちをこの地に連れてきて、つるぎに倒れさせ、またわたしたちの妻子をえじきとされるのであろうか。エジプトに帰る方が、むしろ良いではないか」。4彼らは互に言った、「わたしたちはひとりのかしらを立てて、エジプトに帰ろう」。(民数記14章1節‐4節)
彼らの間には恐れが蔓延しました。彼らは冷静さを失い、かつての奴隷の身分に再び戻ろうと夜を泣き明かしたいうのです。しかし、これらの恐れに対してヨシュアはこう言ったのです7「わたしたちが行き巡って探った地は非常に良い地です。8もし、主が良しとされるならば、わたしたちをその地に導いて行って、それをわたしたちにくださるでしょう。それは乳と蜜の流れている地です。9ただ、主にそむいてはなりません。またその地の民を恐れてはなりません。彼らはわたしたちの食い物にすぎません。彼らを守る者は取り除かれます。主がわたしたちと共におられますから、彼らを恐れてはなりません」(民数記14章7節‐9節)。
ある光景を見てきたある者達は言ったのです「その所は住む者を滅ぼす地で、そこには背の高い人々がおり、自分達はいなごのように無力な者に思われました。また彼らにしても私達がそのように見えたに違いありません」。しかし、全く同じ光景を見てきたヨシュアの報告は全く異なっており、彼は言ったのです。「私達が行き巡って探った地は非常に良い地であり、それは乳と蜜の流れている地です。主が良しとされるならば、私達はその地に導びかれ、主はそれを私達にくださるでしょう。それゆえに、大切なことは、主にそむいてはならず、主が私達と共におられるのですから、その地の民を恐れてはなりません」。
こんな言葉を聞いたことがあります。「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」
皆さん、私達が生きる世界、その見聞きする多くの光景を私達は共有するものです。そして、その光景をどう受け止めるかによって、私達の今日が、明日が変わってきます。私達の思考が私達の人生を決めるとよく言われていますが、ヨシュアの目には人にはとてつもない困難とと思えることが、全てまたとないチャンスとして映ったのです。果たしてそのような思いはどこから来たのか、この差はどこからきたのでしょうか。
それはヨシュアが先にお話したようにかつてのアマレクとの戦いの際に学んだことです。民は敵を見、そして自分を見て恐れました。しかしヨシュアは神を通して敵を見たのです。そうです、神様が私達と共にいる限り、大丈夫だということです。彼自身、「主が私達と共におられますから、彼らを恐れてはなりません」(民数記14章9節)と言ったとおりです。ヨシュアはその学んだことを、即、実践しました。こうして着々とモーセの後を引き継ぐ下地が彼のうちに出来上がっていきました。最後のことを見ていきましょう。それは世代交代ということです。
世代交代
モーセによってエジプトを出てきたイスラエルの民達が神様から示されて向かうべき最終の目的地はカナンでした。しかし、その最大の功労者であるモーセはその目標を見ることができずに神のもとに帰らなければなりませんでした。そこで、いよいよ主はモーセに言われたのです「神の霊のやどっているヌンの子ヨシュアを選び、あなたの手をその上におき・・・なさい」(民数記27章18節)。彼にも子供がいましたが、モーセの偉かったことは、どこかの国の将軍のように彼らを後継者と選ばずに神の示されたヨシュアを選んだということです。モーセはしっかりとその後継者を定めてから、死んだのです。このことは当たり前のように思えますが、それができていないゆえに、私達の世界は時に混乱し、それが血みどろの争いとなることがあります。
このモーセとヨシュアの世代交代から私達一人一人は神様から与えられた一つの時代にしか生きることができない者であるということを確認します。すなわち私達は先代の人達が築いたものを引き継ぎ、そして、それに私達の成し遂げる最善のものをつけ加え、次の世代に引き継いでいく役割を負っているということです。
先ほどもお話しましたダビデはイスラエルの王として、エルサレムの神殿の建築を望んでいましたが、それを成し遂げたのは彼の息子のソロモンでした。預言者エリヤのはたらきは、さらに霊的な力が神様から与えられたその弟子、エリシャに引き継げられ、さらにその先に進みました。バプテスマのヨハネはイエス様がその活動を始める前に、このイエス・キリストを指差してそのはたらきをしていました。しかし、彼はキリストを指して「彼は栄え、私は衰える」と言いつつ、しっかりとその下地をイエス様のために整えてから、入れ替わるかのように天に還ります。
彼らのはたらきに比べますならば、スケールが小さいかもしれませんが、この度の玄関スロープ工事は過去20年も昔、いやもっと前から話し合われていたことです。その時にその話し合いにかかわっていた人達の幾人かは既に天に還られていることでしょう。彼らはその完成を見ることができませんでしたが、今日、私達は不思議な方法によって、それが完成しようとしている様を見ようとしています。このことはサンディエゴ日本人教会に今、連なっている私達ができることであり、私達は先代の人達が成し遂げることができなかった事を成すことができる特権と光栄に預かると共に、私達には成し遂げられないことは次の世代にしっかりと私達の信仰を引き継ぎ、彼らを信頼して預けていくのです。
最後に確認します。私達は神様が共にいてくださらなければ何もできないということを知りましょう。そして、そのことを知る私達は、それを胸に刻んで私達の私生活の色々な場面でそれを実践しましょう。そして、その信仰の遺産を次世代に残していきましょう。私達の広げる綱や幕は私達の生きている間だけのものではなくて、それを引き継ぎ、さらにそれを広げる者達に託していくものなのです。ヘブル書にあるように「彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている」のです(11章4節)。その人達の姿形を見ることはありませんが、その成していったことの中に私達は彼らの信仰を見るのです。
神様を通して、モーセから大切なリーダーシップを引き継いだヨシュアも不滅な人間ではありません。彼もやがて時来たらばかしこに還るのです。彼もそのはたらきを止めなければならない時がくるのです。そんな時、ヨシュアはどうしたのでしょうか。ヨシュア記はその章を閉じるにあたってその最後にこう記しています「これらの事の後、主の僕ヌンの子ヨシュアは百十歳で死んだ。人々は彼をその嗣業の地のうちのテムナテ・セラに葬った。テムナテ・セラはエフライムの山地でガアシ山の北にある。イスラエルはヨシュアの世にある日の間、また主がイスラエルのために行われたもろもろのことを知っていて、ヨシュアの後に生き残った長老たちが世にある日の間、常に主に仕えた」(ヨシュア24章29節‐31節)
ヨシュアも確かにそのはたらきを次のものに引継ぎ、彼らも“世にある日の間、常に主に仕えた”のです。彼らにはしっかりと“主がイスラエルのために行われたもろもろのこと”が伝えられており、彼らはその信仰を引き継いだのです。私達の綱、そして幕もこのように私達がその生を終えても広がっていくのです。お祈りしましょう。
本日のおもちかえり 2010年12月5日
1)出エジプト記17章9節-16節を読みましょう。アマレクとの戦いでモーセが手を挙げて祈っている時に、イスラエルが勝ったということは、その戦場で戦っていたヨシュアにどんな教訓を与えたと思いますか。
2)詩篇20篇7節には「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらはわれらの神、主の御名を誇る」という御言葉があります。今日、私達にとって「戦車」や「馬」とは何でしょうか。ゼカリヤ4章6節にある「これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである」という言葉は私達に何を語りかけてきますか。
3)モーセはヨシュアを含めた12人をスパイとして敵地へと送りました。民数記13章28節‐33節、14章1節‐9節を読みましょう。もし、あなたがこの12人のスパイの一人ならどのような報告をしますか。ヨシュアはなぜ勇ましい報告をすることができたのでしょうか。自分に自信があったのでしょうか。
4)マザーテレサが言った以下の言葉にあなたは同意しますか。「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」彼女によると私達の運命につながる、ことの始まりは思考だといいます。それは、私達がいつも考えていることが私達の未来を決めるということです。あなたはこのことに同意しますか。
5)モーセはその働きの後継としてヨシュアを選びました。なぜ、彼は自分の子供達を選ばなかったのでしょうか」(出エジプト記27章18節)。あなたが誰かを自分の後継者とする時に、その人に最も知っていてほしいこと、受け継いでほしいことは何ですか。今日のメッセージを通して、ヨシュアがモーセの後を引き継ぐにあたり、神様が彼に一番知らせたかったことは何だったのでしょうか。