私達がグリーンカード(米国永住権)の申請をしている時、次男坊は乳幼児で、他の子達もヨチヨチ歩きをしていました。そんな子供達を連れて、家族総出で移民局に何度も通いました。ご存知の方もいると思うのですが、あそこでは入り口で荷物検査を受け、銃をもった警官が常駐しています。また、あの室内で飲食は禁じられています。まさしくいたる所に権威というものを感じます(ということは、彼らはとてもよく仕事をしているということです)。しかし、幼子には権威などは分かりません。お腹が空けば機嫌が悪くなり、泣きます、ぐずります。でも移民官は表情を変えずに厳しい監視をしています。そこで家内はトイレに行き、隠し持っていたお菓子を扉の向こうで子供に食べさせました。永住権をいただく側に私達はおりますから、そのためにお上に従わなければならないというのが現実でした。
マック
今日、礼拝でお話したメッセージです。 よかったらどうぞ↓
天と地が一つとなる所 ルカ2章1節-7節 2009年12月20日
①そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。② これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。③人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。④ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。⑤それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。⑥ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、⑦初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。
歴史上の出来事
①そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。② これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。
今日、私たちの前に開かれているルカ伝はその書の名の通りルカという人によって書かれました。彼は医師でした。医者が患者を前にカルテを取る時に、まず最初にすることは何でしょうか。カルテの名前が本人だということを確認し、その日の日づけを書き記すことに違いありません。私達が大切な書類にサインをする時も、私達はそこに日づけを書き記します。時にそのことに気がつかなかったり、怠ったりしますと、後でその書類が無効になってしまうことすらあります。「時」を記すということは、“確かにこのことは起きました”ということを示す、歴史の中に打ち立てられた目印のようなものです。
ルカもその仕事柄でしょう、一つの出来事がいつ起きたかということに対して、とても注意深い人でした。彼は日付こそつけませんでしたが、明らかに「その時」というものに対して歴史的な位置づけをしており、そのためにその時の皇帝と総督の名前をここに書き記しています。これらの人たちの名前は聖書以外の文献にも出てくるもので、確かに実在した人達であり、ルカがこのように歴史的な人物を明確にすることにより、ここに記されている出来事、すなわちイエス・キリストの誕生は、浮世離れしたおとぎ話なのではなくて、この世界の歴史に確かに刻まれたものなのだということを強調しているのです。
人間生活の出来事
③人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。④ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。⑤それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。
申しましたようにルカは医者です。医者ですから彼は日々、体の具合の悪い人に向き合うことを仕事としていたことでしょう。私は医者ではありませんが、おそらく医者が患者と向き合い、その病気を診察する時に、色々なことを患者から聞くと思います。「どこが痛いの」「腰を痛めています」「どうしたの」「この不景気ですし、お上からの税率も上がりましたから人も雇えず、自分と家族だけで朝から晩まで、夕食を食べてからも麦を背負って働いています」。このような会話により、ルカは病気の背後にある患者の生活環境というものに敏感になっていたことでしょう。
ですからルカは“その日”というものを確定し、その後にこの実際の出来事が人の生活とどのように結びついていたのかということに対してもとても現実的なことを記しています。すなわちこういうことです。皇帝アウグストが全世界の人口調査をせよという勅令を出したというのです。この皇帝の勅令は絶対ですから、部下はこのことのために問答無用、東西奔走します。そして、その勅令を全うするために彼らが試みたのが民に住民登録をさせるということでした。この人口調査には意味がありました。すなわち、その情報を把握することにより、確実に人頭税を徴収するため、また兵役に使える人間の数を調べるためでした。
当然、この皇帝アウグストの勅令に対して、一労働者のヨセフの意志と考えは反映されません。ヨセフはその決定に従わねばなりません。ですから彼はそれまでの仕事を中断し、ベツレヘムに旅に出なくてはなりませんでした。距離的には三日ぐらいかかります。分かりやすくいいますと私達がロサンゼルスの日本国領事館まで歩いて登録にいくようなものです。
そしてヨセフの場合、ただ仕事を中断するということだけではなく、彼の場合は間もなく臨月を迎える妻マリアが共にいたのです。長い旅を彼女も一緒にしなくてはなりません。身重の女性にとって、言うまでもなく過酷な旅です。しかし、それが皇帝の勅令であるならば、絶対服従なのです。
皆さん、このようなことは確かに私達の生活にも起こります。私たちにも覚えがあります。かつて自分や家族のビザのことで、私は毎日のように米国移民局のウエブサイトを見ていたことがあります。それで気がついたのは、ビザに関するルールというのはちょくちょく変わるということです。それまで準備していたことが、ある日、突然有無を言わせずに無効になってしまうようなことも多々あるのです。
私達がグリーンカードの申請をしている時、次男坊は乳幼児で、他の子達もヨチヨチ歩きをしていました。そんな子供達を連れて、家族総出でチュラビスタの菊ガーデンの前の移民局に何度も通いました。ご存知の方もいると思うのですが、あそこでは入り口で荷物検査を受け、銃をもった警官が常駐しています。また、あの室内で飲食は禁じられています。まさしくいたる所に権威というものを感じます(ということは、彼らはとてもよく仕事をしているということです)。しかし、幼子には権威などは分かりません。お腹が空けば機嫌が悪くなり、泣きます、ぐずります。でも移民官は表情を変えずに厳しい監視をしています。そこで家内はトイレに行き、隠し持っていたお菓子を扉の向こうで子供に食べさせました。ビザをいただく側に私達はおりますから、そのためにお上に従わなければならないのが私達の現実です。
確かに私達の住むこの国に絶対的な権威を持った神のような皇帝はいません。しかし、またどうでしょうか。株価の変動や企業のリストラというようなことはある日、突然やってきます。それはまさにアウグストの勅令のようなものです。それによって、私達は安定した生活を失うことになります。また、ある場合には企業の再編によって、またある場合には突然の天変地異によって、人は安定した生活を後にして、まさしく旅に出ざるを得なくなります。日本において政党が代わったことにより、今、予算の変更がなされており、それまで何十億という国からの支援を受けていた団体の支援が全くなくなるということが起きています。これはある意味、アウグストの勅令以上のものだとも言えます。この世界には私たちの願いや意志とは関係のない強い風が常に吹いているのです。木の葉が風に吹かれるように、私たちも同様なのです。
ルカは日づけを記しました。そして、ヨセフの現実の生の生活を書きました。そして、そのただ中にイエス・キリストの誕生を記したのです。
天の出来事
⑥ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、⑦初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。
皆さん、ここまで私達は歴史に記録され、私達にも共感できる出来事というものを見てまいりました。生身の私たちにもとても理解しやすいことです。しかし、それと平行して、聖書は天の啓示というものを記していることにも気がつきます。あの御使いガブリエルが突然マリアに現れて、神の御告げを告げる、野宿をしていた羊飼いに天使が現れてメシアの誕生について伝える、天の大軍が神を賛美する。これらは明らかに現実的な医者ルカにとっても、自分のそれまでの経験を超えた出来事であったに違いありません。
明らかにこれらのことは私たちの日常とは全く一線を画すものであり、このようなことに関して私たちもまるでおとぎ話のようにこの話しを受け止めます。しかし、私たちは歴史小説を読んでいるのではありませんし、聖書はその一番最初に開口一番、「はじめに神は天と地とを創造された」(創世記一章一節)と記していますように、神について記している書物ですから、私たちが理解できる身近なことだけを記しているようでは、それはまたおかしいのです。
ですから、このイエスの誕生には明らかに天的な出来事も書かれているのです。そして、それと同時に私たちは見過ごしてしまうような、ごく身近なものの中にも天からのメッセージが込められているのです。
天の御使いが野宿をしていた羊飼いに光を巡り照らした時に羊飼い達にこう告げました「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。今日、ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主なるキリストである。あなたがたは幼子が布にくるまって飼葉桶に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」(ルカ2章10節-12節)。
御使いは「あなたがたは幼子が布にくるまって飼葉桶に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」と言いました。御使いはここで「飼葉桶で布にくるまって寝かしてある幼子」を強調し、それが「私たちに与えられるしるし」だというのです。飼葉桶に布でくるまれた幼子の何がしるしなのでしょうか。
実はこの「布にくるまる」という言葉ですが、これは新約聖書の原語であるギリシア語ではスパラガノーという言葉であり、新約聖書の中には二つの出来事にしか使われていない言葉なのです。すなわちこのイエスの誕生ともう一つの出来事だけに出てくる言葉なのです。どんな出来事であったかお分かりになるでしょうか。ルカ23章53節にはこう記されています。「それを取り下ろして亜麻布に包み、まだ誰も葬ったことのない、岩を掘って造った墓に納めた」。
この言葉が何を意味しているかお分かりかと思います。そうです、イエス・キリストが十字架につけられ、死なれた。それを取り下ろして亜麻布に包んだということです。お分かりになったでしょうか?なぜ御使いが「幼子が布にくるまって飼葉桶に寝かしてある」ということが「あなたがたに与えられるしるしである」と言ったかということを。
さらに当時の慣習というものを調べていきます時に分かってきますことは、この家畜小屋というものの多くは、町のはずれの洞窟のようなところであったと言われているということです。クリスマスのポストカードの多くはこの小屋を木で造られた建物として描いていますが、考えてみれば自分の住む家を建てることさえ難儀する時代の貧しい庶民が、わざわざ家畜のために家を建てるということは稀で、彼らの多くは自然のほら穴に細工をして家畜を飼っていたというのです。ですから、この時イエスが寝かされていた場所というのもほら穴のような場所ではなかったかと言われています。そして、そのことを思う時に、私たちは再び先ほどのルカ23章の記録を思い起こすのです。「それを取り下ろして亜麻布に包み、まだ誰も葬ったことのない、岩を掘って造った墓に納めた」と。
さらに東の国の博士達が、イエスの元に何を携えてこられたかということを思い起こしましょう。彼らは乳香、没薬を赤子のイエスに捧げたのです。それから33年後に、葬られたイエスのところに女性達は何を持ってやってきましたか?ルカはこのように記しています「週の初めの日、夜明け前に、女たちは用意しておいた香料を携えて、墓に行った」(ルカ24章1節)。
イエスが誕生した時に「布に包まれた」ということ、「洞窟で生まれた」ということ、「香料が送られた」ということ、それは何のしるしなのでしょうか。そうです、キリストは生まれた時から既に私達の罪のために十字架にかかって死なれるということを身に負うていたということです。御使いは、そのしるしについて語っていたのです。
すなわち、神は人の歴史の中、人間の汗と涙で満ちたこの世界の只中にある飼葉桶に寝かされている幼子の上に御自身の啓示をなされたということです。私達の目に浮かべることができる、理解できるその日常の出来事のただ中に神様がしるしを示されたのです。それは「この世の出来事」と「神の御心」、すなわち「この世的なもの」と「天的なもの」が一つとなった時のことであり、それがイエス・キリストの誕生だったということです。
ということはどういうことなのでしょうか。私たちはこのクリスマスのメッセージから確かなる光を得ることができるということです。それは、私達の日記に記されるような日常の出来事のただ中に、そうです、それはヨセフとマリアが自分ではどうすることもできない状況の中で、苦労しながら生きていたその生活の座に神様がはたらきかけられたように、私達の悩み多き生活の中にも確かに神様が介入していてくださるということなのです。
今日は松澤秀一さんの洗礼式がもたれます。科学者であられた秀一さんが神の存在を信じさせること、イエスの十字架を己がものとして受け止めさせることなんてことは、誰にもできることではありません。誰もそんなことを説得させ、納得させることなどはできないのです。しかし、神様は確かに秀一さんの人生のしかるべき時の中で、その生活の中に起きる諸々の人間的な出来事にも関わり、その中に天来の介入をしてくださったことにより、主イエスへの信仰が生まれたのです。
同じようにいかなる人の人生にも確かに神様ははたらいておられます。あなたの日常生活の中に神様は介入され、語りかけておられます。飼葉桶に布で包まれた幼子に神のメッセージがこめられていたように、私達の人生の一つ一つの事柄の中に主のあなたへの語りかけがあるのです。
お祈りしましょう。
本日のお持ち帰り ルカ2章1節-7節 2009年12月20日
①そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。② これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。③人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。④ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。⑤それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。⑥ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、⑦初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。
この書を書いた医者ルカはなぜ「皇帝アウグスト」や「クレニオ」という人の名前をここに書いているのでしょうか。
ルカは当時の社会情勢とそこから生じる人間生活について、どんなことを書いていますか。あなたがヨセフ、もしくは身重のマリアであることを想像してみましょう。ある日、突然、ベツレヘムに行き(徒歩三日間)、住民登録をするようにと言われたら、何を感じますか。
野宿をしていた羊飼いに天の使いがあらわれて「あなたがたは幼子が布にくるまって飼葉桶に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」(ルカ2章12節)と言いました。イエス・キリストが布に包まれたことは、なぜ私達に与えられた“しるし”なのでしょうか。
当時の家畜小屋は洞窟のような場所であったということ、東方の博士達が乳香や没薬をイエスに贈ったということは、何を意味していますか(ルカ23章53節、24章1節)。
あなたの日々の生活にも神様が示しておられる“しるし”があることをご存知ですか。しるしは私達の実生活と神様の働きが重なる瞬間です。あなはた人生のしかるべき時、その生活の中に起きる諸々の人間的な出来事にも関わっておられた神様に気がついたことがありますか。今、神様はあなたの生活に具体的にどのように関わっておられるのでしょうか。
