かつて幕末の時代、高杉晋作という侍がいました。
高杉のこの詩に私達は深い共感を覚えます。外国の脅威を受け、幕府の圧政のもとに暮らし、その志(こころざし)半ば、28歳の若さで、倒れてしまう人生、それは「おもしろくない人生」と私達には思われます。しかし、高杉はその自分の人生を受け止め、その人生を「俺はおもしろく生きてきたぞ」と最期に詠ったのでしょう。
私達は今もコロナという「おもしろくないもの」に向き合っています。これから、この先も私達の向かう先に何が待ち構えているのか私達は知りえません。生きていくことは大変なことです。「生きていこう」という思いを持ち続けることが難しい時もあります。「よかった」と思うのも束の間、次には「どうしたらいいのだ」ということの連続、それが人生です。
そして、このことは今、始まったことではなく、古の昔から人はこの思いを抱えて生きてきました。聖書の中には高杉のように自分の人生に対して「おもしろくないな」と何度もつぶやいた人が出てきます。その彼は「伝道の書」という書を私達の手元に残しました。これからの日曜日、この伝道の書から「おもしろきことなき世をおもしろく」というテーマのもと、メッセージを取り次がせていただきます。
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おもしろきことなき世をおもしろく(1)
コロナから始まる新しい生き方
「伝道の書」講解説教
2021年8月1日
かつて幕末の時代、高杉晋作という侍がいました。彼は奇兵隊という武士と庶民から成る部隊を組み、外国艦隊からの攻撃に備え、江戸幕府との戦いに臨みました。しかし、その彼は28歳の若さで結核により、亡くなります。その病床で彼は辞世の句、「おもしろきことなき世をおもしろく」という詩を読みました。
高杉のこの詩に私は深い共感を覚えます。外国の脅威を受け、幕府の圧政のもとに暮らし、その志(こころざし)半ば、28歳の若さで、倒れてしまう人生、それは「おもしろくない人生」と私達には思われます。しかし、高杉はその自分の人生を受け止め、その人生を「俺はおもしろく生きてきたぞ」と最期に詠(うた)ったのでしょう。
私達は今もコロナという「おもしろくないもの」に向き合っています。これから、この先も私達の向かう先に何が待ち構えているのか私達は知りえません。生きていくことは大変なことです。「生きていこう」という思いを持ち続けることが難しい時もあります。「よかった」と思うのも束の間、次には「どうしたらいいのだ」ということの連続、それが人生です。そして、このことは今、始まったことではなく、古の昔から人はこの思いを抱えて生きてきました。
聖書の中には「おもしろくないな」と何度も言い続けた人が出てきます。彼は「伝道の書」という書を私達の手元に残しました。その冒頭で彼はこう書き記しました。「ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。2伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。3日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか」(伝道の書1章1節ー3節)。
生まれて初めて聖書を手にした人が読んでも理解ができる、共感できる書が聖書の中には二つあると思います。それは「箴言」と今、読みました「伝道の書」です。今から3000年も昔に書かれたこの言葉は現代を生きる私達の心に多くのことを問いかけます。
この書はその冒頭に「ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉」と記し、この後の16節には「わたしは、わたしより先にエルサレムを治めたすべての者にまさって、多くの知恵を得た」とも書いています。いったいここに記されている「伝道者」、また「わたし」とは誰なのでしょうか。
列王記上3章3節‐15節によりますと、ある時、神様が夢の中でイスラエル三代目の王であり、ダビデの息子であるソロモンに「あなたに何を与えようか」と問われました。ソロモンは自分のための長命や富、また敵の命を求めず、ただ「聞き分ける心と善悪をわきまえる知恵」を神に求めたゆえに、神はそれを喜ばれ、先にも後にも並ぶ者がないような圧倒的な知恵と富と誉を彼に与えました。この人、ソロモンこそがこの伝道の書を書いた著者なのです。
そして、その約束通り神は彼に他者が追随できないほどの「知恵」と「富」を与えました。ある意味、ソロモンは多くの人間が日夜、願い求めていますその頂点に立ったということです。すなわち、この伝道の書は富と名誉と知恵を全て得た王が、人が日夜、目指しているその頂(いただき)から見える風景を書き記した書なのです。
この伝道の書の鍵語(キーワード)は何かと言いますと「空」という言葉で、この書の中に38回出てきます。今日、開きましたその冒頭からその言葉は繰り返し書かれています。伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか(伝道の書1章2節,3節)。
ソロモンは言います「空の空、空の空、いっさいは空である」、NIV訳の英語聖書では「Meaningless! Meaningless! Everything is meaningless」と書かれています。そう、すべてのことは無意味だというのです。主にある皆さん、この言葉はあの高杉の思いにつながります。そうです、虚しい、意味のない人生がおもしろいはずがないのです。
ソロモンは続けて言います。4世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。5日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。6風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。7川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。8すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない(伝道の書1章4節-8節)。
私達の日常は単調です。起き、食べ、働き、食べ、働き、食べ、眠る。これを繰り返します。日常に真新しいことはなく、同じことが毎日、毎月、毎年、繰り返されて行きます。ソロモンはその単調さの中に埋もれるかのようにして生きている自分は何なのだろうかとここで嘆いているのです。
私達はこれら単調な毎日の中で外出したり、人と会ったり、余暇を楽しむことができます。しかし、この度のコロナはそのような楽しみをも私達から取り去りました。
続いてソロモンは言います。9先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。10「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。11前の者のことは覚えられることがない、また、きたるべき後の者のことも、後に起る者はこれを覚えることがない(伝道の書1章9節ー11節)。
人はいつの時代でも新しいものを求めます。2000年前のギリシア、アテネは世界最先端の思想や文化が生まれる世界の中心でした。パウロは当時、そのギリシア、アテネに住む者達、そこに住む外国人についてこう書きました「いったい、アテネ人もそこに滞在している外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることのみに、時を過ごしていたのである」(使徒行伝17章21節)。
たとえ彼らが世界最新の思想や文化を見聞きしても、彼らの目は見ることに飽きることなく、耳は聞くことに満たされませんでした。このことは現代も変わりません。私達も新しいもの、新しいことが大好きですが、何か最新のものを手に入れたとしても、真新しいことを聞いたとしても、それはすぐに古いものとなり、私達は飽きてしまうのです。
1970年に開かれました大阪万博には6500万人もの来場者があり、その目玉はアポロが持ち帰った「月の石」でした。その月の石を見るために人々は四時間も並びました。皆さん、もし、この「月の石」がバルボアパークの宇宙博物館にこれから一月、展示されたとしたら、いったいどれだけの人がそれを見に行くでしょうか。想像するに、そこに真新しさを感じる人はいないでしょう。今や民間人が宇宙に旅行に行く時代なのです。
神様はソロモンに無比の富を与えました。彼の元にはイスラエルではお目にかかれない世界各地の財宝や象牙、果ては孔雀や猿までも連れてこられたようです。庶民が体験できない世界をソロモンは日常として生きていました。しかし、それらをかき集めたり、獲得していくことに何の意味があるのだろうかと彼は嘆くのです。
「新婚」という言葉には「新鮮さ」が伴いますが、ハネムーン・ピリオドは過ぎ去り、夫婦の間に新鮮さは失われていきます。私達には信じがたいことですが、このソロモンには王妃として妻700人、妾が300人いたと聖書は記しています(列王記10章)。毎日一人の妻と一人の妾がソロモンと共に過ごすというローテーションを組みましたら、今日の妻が次回、巡ってくるのは2年後、妾は11か月後なのです。
ソロモンはこの私生活に満たされていたのでしょうか・・・。最初は目の前を過ぎていく諸々の真新しいものを楽しんでいたのでしょう。しかし、やがて、心の中にむなしさがわいてきたのです。見たこともないものを見たからって、それが何なのだ。それを手に入れたからといって、私の心が満たされることはないのだと。あぁ、なんと空しい、無意味なことか!
よく言われることがあります「今日、自分がいなくなっても世界は何もなかったように明日を迎える」。たとえ自分が会社を今日、辞めても明日には自分のデスクには誰かが座り、何事もなかったように業務は続けられる。主にある皆さん、私達はこの現実を受け止めなければなりません。果たして、いったい私達は何なのでしょうか・・・。
きっと皆さんもソロモンが言っていることに心当たりがあるのではないでしょうか。ソロモンのことなど知らなかったであろう、高杉晋作でさえ、このイスラエルの王と同じ思いを人生に感じ取っていたのです。そう、これらのことは人間である私達にいつもつきまとってくるものであり、この空しさと無意味さと共に人生は前に進むのです。主にある皆さん、この人生に耐えられますか?
先ほどこの伝道の書には「空」という言葉が38回使われていると言いました。実はその数にはおよびませんが、同じように何度も使われている言葉があるのです。その言葉はこの「空」に呼応するかのように29回出てきます。何だか分かりますか?それは「日の下で」ということ言葉です。英語ですと「Under the Sun」、「太陽の下で」ということです。つまりこういうことです、ソロモンは「太陽の下で行われることは、ことごとく空、むなしいのだ」と言っているのです。
そして、この言葉に私達がこの空しい生き方から解放されるヒントが含まれているのです。どういうことなのでしょうか。そうです、私達の「日々の営み」は全て「太陽の下」でなされているものなのです。このことについて伝道の書ははっきりと書いています。9先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。(伝道の書1章9節)
私達が全ての事柄を太陽のもとで見聞きしているのなら、それは空しいのです。しかし、もし私達が見るもの、聞くもの全てを「神の下」で見、聞くのなら、その背後に神様のはたらきを見、神の御声を聞くのなら私達のむなしさ、無意味さはなくなるのです。預言者エレミヤはかつて言ったではありませんか。
21 しかし、わたしはこの事を心に思い起す。それゆえ、わたしは望みをいだく。22 主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。23 これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。(哀歌3章21節ー23節)
私達の心が空しさで覆われる時、私達はこのことを思い、そこに揺ぎない希望を見出します。太陽の下ではなく、神の下にある自分を見出す時、太陽がのぼる、その朝毎に私達は主の恵みと憐れみを知り、神の真実に感動する、そんな毎日を送ることができるのです。
私はこれからの礼拝で「おもしろきことなき世をおもしろく」というテーマで、この伝道の書をさらに詳しく、皆さんにお話したいと願っています。そして、その初回から結論を今、申し上げます。これからお話します、伝道の書は全てその最後の12章に記されている言葉に結論があります。
1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、2 また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。(伝道の書12章1節ー2節)
「あなたの若い日に、あなたの造り主をおぼえよ」、これが比類なき知恵と富を得たソロモンという人間の人生の結論なのです。なぜ、あえて彼はここで「あなたの若い日に」と言ったのでしょうか。なぜなら、私達がその貴重な人生の多くを、空しいことに注ぎ込んでしまうことがないために、このようなことは気がつくのが早ければ早いほどいいから、その若い日に、あなたの見聞きすることの背後におられる、太陽の運行をも支配しておられる神を覚えなさいと彼は言ったのです。
この一年半、コロナという「おもしろきなきこと」を嫌というほどに経験した私達です。この経験を無駄にせずに、新しい生き方をこれから始めようではありませんか。そう、それは今日という日に私達の造り主をおぼえ、その造り主の下に生きる人生なのです。そこに私達はとどまり続けるのです。
私達の人生に起こる出来事は全て太陽の下で起きています。コロナ・パンデミックも太陽の下で起きています。そこに生きる時に、私達は今まで培ってきたものが簡単に失われてしまう現実を目の当たりにします。一生懸命に働いていても、突如、襲ってくる無気力感、虚しさに心が支配されてしまうこともありますでしょう。
ですから皆さん、今日、声を大にして、皆さんお一人お一人に申し上げたいのです「あなたの若い日に、あなたの作り主を覚えよ」。「いやいや、牧師さん、私はもう若くない、もう遅いですよ」
主にある皆さん、本当にそうですか。ご存知ですか「残りの人生を考える時、今日が人生で一番、若い日だということを!」ここに「おもしろきことなき世をおもしろく」することができる全ての秘訣があるのです。
再来週以降、またその一つ一つをこの伝道の書から具体的にお話してまいりましょう。お祈りしましょう。
本日のおもちかえり
2021年8月1日
1)伝道の書1章1節-11節を読みましょう。この伝道の書の著者はどんな人ですか?神様が彼に与えたものは何でしょうか(列王記上3章3節‐15節)。多くの人が目指している山の頂(いただき)から見える景色について語っているこの著者の言葉は私達に何を語りかけますか。
2)あなたは「むなしい」思いを持ったことがありますか。それはどんな時でしたか。高杉晋作は「おもしろきことなき世」と言いました。高杉は何が言いたかったのでしょうか。
3)8節には「目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない」と書かれています。私達の世界のどこで、このようなことが見受けられますか。
4)9節には「先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない」とありますが、あなたはそう思いますか。一生涯、新鮮さを保っているものが私達の周りにあるでしょうか。
5)ソロモンは「日の下」で行われるものは全て空しいと言い、「空」という言葉を38回、「日の下で:太陽の下で」という言葉を29回、伝道の書で使っています。このことは空しさについて何を説明していますか。どうしたら私達はこの空しさから解放されるのでしょうか。
6)伝道の書の結論は12章に集約されています。「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」(伝道の書12章1節)。太陽の下ではなく、神の下に生きる時に私達の生き方にどんな変化が与えられますか。