「物語で語られた言葉を変えることができるのは、その物語を書き記した人だけであり、読者ではない」
最近、そんなことをよく思い巡らします。誰しも、私達の心には切なる願いや情があります。「こうだったらいいな」という思いがあります。しかし、その願いと情に辻褄が合うように、物語の筋書きを変えてはならないと思います。たとえ、それが私達の意にかなわずとも、私達にとって辛いことであっても、それが神の言葉であるのなら、そのままを受け止める。それが私達に今日の息を与えてくださる創造者の前に立つ被造物のあるべき姿ではないかなと思うのです。
しかし、最も強調すべきことは、このことにより神は私達を突き放すお方ではなく、人知を超えた愛で私たちを包んでくださるということです。神の愛はその性質ゆえに、時に記された言葉を超えて私達に臨みます。愛なるお方の情は、私達が抱く情よりも遥かに大きいということを、その神の真実に私達の唯一の救い、慰め、拠り所があると信じています。
『たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである』(第二テモテ2章13節)。
『そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた』(ヨハネ1章14節)
All my life You have been faithful. All my life You have been so, so good. With every breath that I am able I will sing of the goodness of God….