私はなぜPho食堂に一人で行くのか

先週、家内から「来週の月曜日は友達とおはぎを作って、ランチも食べてくるから」と言われていた。ということは、私はしばし一人の時間をもつことになる。そして、そうなるとランチはどうしましょかということになる。

つまり、こういうことだ。妻子がいない一人の休日に夫、兼父親、兼パスターは何を食べたらいいのかという問題だ。冷蔵庫の中を見たけれど、食材と食材との組み合わせに心躍るイマジネーションが浮かぶことなく(エラソーなことを言っているが私が言っている組み合わせとはせいぜい、納豆と生卵、そして青ねぎ程度の組み合わせのことである)、カップラーメンもいいけれど、先日「緑のたぬき」を食べたばかりだし、そんなことを考えていたら、私の脳裏に浮かんできたのはあのPho食堂だった。

現場に向かう途中、そういえばあの時も妻子は訪日中だったなーなどと思い出しつつ、ということはこのようなシチュエーションになると私の足は、なぜPhoに向かうのだろうかと何か新しい自分を発見したような思いでハンドルを握っていたのであります。

そして、あの日と何も変らないベトナムのおじちゃん、おばちゃん、お兄さん達に囲まれて、あの日と変らないアツアツの本場のPhoが目の前に出されると、なぜ、私がここに来るのかが少し分かったようにも思えるのです。

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私は一杯のPhoを食べる時だけ、昔を思い出してプチ・バックパッカーになっているんじゃないかなと・・・。確かに、ここに家族で来てしまったら旅人ではなくなってしまいますから・・・。

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