一人

最近、ふと考えることがあるのです。それは過去に「一人の意見」と「百人の意見」で百人の方が正しい、良いとされたにもかかわらず、時を経て、実際は一人の方が正しかったというようなことはどれぐらいあったのだろうかということです。

大抵、このような時には多数を占めていることの方が注目を浴び、評価されます(多数にくっついていた方が気が楽ですし・・・)。しかし、それでも自分の信念を負けずに立ち続けた人達はどんな気持ちでいたのでしょうか。

おそらく、そんな「一人」の局面に立たされることは、きっと誰の人生にも一度や二度はあるのではないかと思います。後に振りかえって「自分は与えられた人生を確かに生きてきた」という刻印を押す機会が、もしあるとしたら、そんな時なのかもしれません。

ご静読(造語です)、ありがとうございました。

マック

追伸:究極の一人を味わったのはジーザス・クライストです。その時、押された刻印は不動のものとなりました。

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