土俵

術後から右耳あたりの感覚が麻痺しており、数日前からはその耳だけが深海の中にいるような感覚となっており、音が聴きづらい状態となっている。切ったところが神経の集まっているところだけあって、このことも起こりうると医師から聞いていたので、ナルホド、フムフムというような気持ちでいる。

そして、この状態を感謝している。なぜなら、教会の中にもやはり聴力に不自由を感じている方々が数名おられ、人によっては話が聞こえやすい場所に席を移動したり、一生懸命に自分の耳に合った補聴器を探したり、日々、色々な努力をしておられるからだ。その方々の気持ちというものばかりは、自分がなってみて初めて分かるもので、少なくとも観客席にいた者が、同じ土俵の端っこに立たせてもらうことができたからだ。

「千の言葉」も「一つの経験」にはかなわないことがある。そんなことを学んでいます。

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3月3日、耳の日を前に。
マック

追伸:この耳のことをある方に話したら、「それじゃ、都合悪いことは聞こえないフリをすれば」とのこと。いやー、とてもためになることを聞きました。すぐに実践しましょう。ペコリ。

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