「おもしろきこともなき世をおもしろく」
ご存知、幕末の志士、奇兵隊、高杉晋作が病床で詠ったとされる彼の辞世の句です。弱冠27歳でこの世を去った高杉でしたが、この世というものを達観していたのでしょうか。三味線を片手に随分と粋な遊びもしたようですが、そのような中にも常に虚無的なものを感じていたのかもしれません。
そんな彼の句を読みながら最近、「楽しむ」ということについて思うのです。クリスチャンになるということはどういうことなのでしょうか。色々な意見があると思いますが、その一つとして私は最近、こう思っています。
「クリスチャンになるということは、人生を本当に楽しむことができるようになるということ」
聖書の伝道の書5章19節には「神はすべての人に富と宝と、それを楽しむ力を与え、またその分を取らせ、その労苦によって楽しみを得させられる」という言葉があります。ここには「楽しむためには神から与えられる力が必要だ」と書かれているのです。この歳になってやっとその意味が分かってきたように感じています。
先日、自宅のディスクに座って仕事をしていると、傍らにいた娘がポツリと言いました。「牧師っておもしろそう!」その時、私は何か特別なことをしていたわけでもなく、いつものように仕事をしていました。でも、その姿を見て子供に「おもしろそう!」って言ってもらえたこと、これはなかなかクリスチャンとしていい線行っているのではなかろうかと思わされた次第です。そして、それは「楽しむ力」を与えてくださっている父なる神の憐れみだと思うのです。
Sol Deo Gloria! マック
追伸:ちょうどF師のこんな記事が。
私も本当にそう思います。
楽しむ。喜ぶ。神様が私たちを造られたのはそのためだと。ジーザスもそのための真の復興のために世に来られた。そう思っています。
kobaken先生
聖書に記されている「カナの婚礼」ではありませんが 「味気ない水」を「味わい深い喜びのワイン」に変えられたジーザスの一番最初の奇跡を私達は忘れてはいけませんね。日本での主にあるご活躍を心よりお祈りしています。