ディオフ。
今日、家族と共に過ごしながら思いめぐらしていたことについて。
この間、「リーダーシップ」について書きましたが、こちらの牧師の間でよく聞かれるもう一つのことに「ファミリー」という言葉があります。この言葉はこちらでは水戸黄門の印籠のようなもので、この言葉を出すと、大抵のことは受け入れられます。それはそれで素晴らしいことだと思いますが、こちらで色々なことを見聞きするにつけ、「ファミリー第一」というものが必ずしも常に最善なものではないと思うようになりました。
伝道と牧会は24/7の仕事です。日本で過ごした幼少年時代、牧師をしていた母は必要とあらば、たとえそれが夜であっても、よく私を一人残して出かけていきました。確かにそのような時に寂しさというものを感じましたが、今、思えば、そのような時に「この人は自分を置いて出て行くほどに本気なのだ」ということを(よく考えたらおもしろい受け止め方ですね)、心のどこかに刻んでいたのだと思います(逆の言い方をすれば、「この親は僕のために神様のお仕事をいつでも切り上げるんだ」ということです)。
同年代で、まず確実に私と同じような幼少年時代を過ごしたであろう日本のPK (PASTOR’S KID)の仲間達の多くが今、その父母と同じ道を歩んでいます。当時の状況を思えば、「ファミリー第一」などという考え方なんて微塵もなく、がむしゃらに親達が伝道していた時代、その子供達の中から多くの献身者が出たということ、これは一考すべきことだと思います。
マック

結構、前のアメリカ映画の中の、小学生の女の子が、自分にとっていかにパパがグレイトかを表現する台詞で、
”My dad cancelled his very important business meeting for my birthday”
ってのがあるんだけど、この父親がもし常に家族ベッタリだったら、仕事キャンセルなんて日常茶飯事で女の子にとっては当然のことだから、この台詞は出てこないよな。
たしん
そのとおりだね。しっかりとバランスを保ちたいね。一日は24時間しかないので、最近は「量」より「質」ということもよく考えています。
五十過ぎたら、一日が12時間しかないように感じています。「量」より「質」同感です。
M師匠
それは大変なことですね。しかと覚悟します。でも言い方を変えれば、充実しているということでしょうか。