結婚

結婚・・・

それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである。この奥義は大きい」 聖書(エペソ5章31節、32節)

「そんじゃーまた明日」「また来週ねー」ならいいのです。一晩、もしくは一週間の時があり、その時間が互いの関係をうまいぐあいにリセットしてくれますから。腹立つことがあったリングの上でも、しばらく控え室で休めば、気持ちを入れ替え、冷静さを取り戻して翌朝、もしくは翌週、再びリングに上がれるのですから。でも結婚というのはそうもいかないことです。結婚とは控え室でもパートナーと共にいることであり、食を共にし、寝室をも共にするということです。

「結婚」ということについて色々な場所で様々な方とお話をする機会がありますが、最近、驚いていることはまだ未婚の方々から「結婚が喜びだとは思えない」というような言葉を聞くことが多いということです。確かに困難な結婚というものを親や身近な人達から見ているならば、そのような思いが心にあってもおかしくないでしょう。そして、事実、「こんなはずじゃなかった!」と結婚生活に困難を覚えている人はたくさんいます。

それゆえ、教会はいつも「結婚とは本来、継続された祝福なのだ」ということを、繰り返し繰り返し伝えなければならないことを感じています(キリストにある同労者の皆さん、私達の使命は大きいですぞ)。そして、この巨大な課題は木材に素手で釘を打つことができず、金槌が必要とされるように、私達の願いとか理想では手に負えるものではなく、「聖書」ぬきにはどうすることもできないことなのだと確信しています。

信仰といいますと「洗脳」とか「原理主義」を思い起こす方がいるかもしれませんが、私にとって信仰とは単純に喜びであり、希望なのです。それは「悪徳商法」や「タリバン」のものではなく、自宅に帰ってネクタイをほどく時に、私に絶対に必要なものなのです。

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