先日、家内が息子のジーパンを半ズボンに仕立てていました。そのジーパンは膝に穴が開いたため、また彼の身の丈には合わなくなってきたのです。
確か故遠藤周作さんもそんなことを書いているのですが、私は牧師の子として、親の仕立ててくれた信仰というジャケットを着て育ちました。でも、それはやがてほころびてきますし、何しろ自分の身の丈に合わなくなってきます。そうなるとそれが窮屈となり、時に偽善的な自分が嫌になります。
ある意味、かつての自分の魂の放浪というのは、自分に合う信仰のジャケットを探す旅だったのだと思います。このようなことは時にクリスチャン二世、三世に起きてくることなのですが、もしそんなところを通っている方達がいましたら、エールを送ります。
きっと、あなただけのユニークなジャケットが見つかるはず。私は今、自分のジャケットに好きな色を塗ったり、ワッペンを貼りつけたりして楽しんでいます。そう、それは世界でたった一枚のジャケットなのです。

マック
今年で不惑だ。もう、いろいろとジャケットを探す時期は終わったみたい。今のジャケットがアジが出るように頑張ってみるよ。
偽善的な自分が嫌になり放浪か・・・さすが世俗牧師!若い時はそういう時期があるよな!
さんぼ
これから「不惑」なら、さんぼ達と過ごした日々は「迷惑」な毎日だったのではなかろうか(笑)。