見えないもの

J0430684_3  昨晩、つくづく思ったのですよ。

「俺が神だ」という困った教祖。ガマの油。しっかり切れる包丁。何でもきれいになる洗剤。幸運呼び込むハンコ・・・。これらは人間が売り込むもの。しっかりと手にとり、人を前にして「これを見てくれ」とばかりに商売に励む必須アイテム。

しかし、私が伝えようとしているお方は、私達の目にその姿として見ることができないお方。すなわち、見えないお方を信じて私は生きており、この見えないお方を指差して、その素晴らしさをいつも聴衆に語っているということです。常識的に考えたら、これはクレイジーなことでありまして、しかしながら驚くべきことは、その見えないお方を信じる方達がおこされ、実際にその人生が変化しているということ。こうなると、それは人間業ではなく、神業であります。

あなたは私を見たので信じたのか。見ないで信じる者は幸いである」(イエス・キリスト:ヨハネ20章29節)。

この世界で何が一番、すごいって、それは信じる力だって!

マック

追伸:私はこれからも宙に浮いたり(浮かべないし、こわいでちゅ)、幸せになる壷などは売りませんから、そこのところ、よろしくお願いします。そのかわりに、見えない方のためにこれからも汗かいていきます。

追伸2:わざわざ付け足す必要はないと思うのですが、上記載の買い物バックを抱えたお姉さん!買ったものはいつか失われまっせ。

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