『マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思い巡らしていた』(ルカ2章19節)
これは自身、御使いから受胎告知を受け、同じように御使いからキリスト誕生が告げられた羊飼いがその御告げをマリヤに語った時の彼女の姿です。
突然、御使いが現れ、あなたの胎には子が宿っていると言われることはただごとではなく、そのことで恐れたり、慌てふためいたり、怒りの感情が沸き起こっても私達は彼女を咎めることはできません。
しかし、その時、マリヤは全てを心に留め、思い巡らしていたというのです。
『あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか』(マタイ6章27節)『だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな』(マタイ6章31節)。
キリストは私達の「思い患い」について語っています。「思い患う」という言葉と「思い巡らす」という言葉は似ていますが、その内容は天と地の差があります。自ら色々なことを思い、そのことによって患ってしまうのではなく、最善の終着点へ神はこれからどのように自分を着地させてくださるのだろうかと思い巡らす。その心がわたしも欲しいと思いました。
さぁ、思い患わず、思い巡らしましょう!
マック
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