2011年2月18日、朝、ガリラヤ湖畔にて

2011年2月17日(金)ガリラヤ朝焼け 075
「わたしはよみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」マルコ14章28節

2000年前の「夜があけた頃」(ヨハネ21章4節)と全く同じ状況のガリラヤ湖畔。今朝、わたしはなぜ、主イエスが弟子達(ペテロ)に「ガリラヤに行く」といわれたのかが分かった。

その時、弟子達が目の前の湖で一晩中、漁をしている姿を想像してみた。一晩中、はたらいても何一つとれなかったその徒労感を想像してみた。主イエスが火をおこし、魚を焼いていてくださるその姿を想像してみた。三度、主を否んだペテロがその主の前に座っている姿を、その彼の気持ちを想像してみた。そして主の一つ一つの言葉を思い巡らした。

その間中、ガリラヤ湖は刻一刻とその色を変えていった。鳥達が静かにさえずり、時折、魚が湖面を揺らす。そして、ついに陽がのぼった。それまで肌寒さを感じていたのだが、その時から太陽のぬくもりを感じた。冷えた体がじょじょに、じょじょに、温かくなっていく。ガリラヤは昨日と変わらず静けさを保ち、その湖面はやわらかく、やさしさで満ちている。そこは父なる神の愛で完全に包まれている。わたしは神に完全に包まれ、完全に愛されている。

きっとペテロもこれと同じ光景を見て、主の言葉を聞いたのではなかろうか。だから・・・、なぜ、主が「ガリラヤへ行く」と言われたのかが、今朝、本当によく分かった。

マック

追伸:このことを知ることによって、なぜ主が「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい」(使徒行伝1章4節)と、その時は「ガリラヤ」ではなく、「エルサレム」と言っているのかも分かった。ここは弟子達が記念すべき聖霊を受ける最初の場所ではない。それはエルサレムであるべきなのだ。

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2011年2月18日、朝、ガリラヤ湖畔にて」への2件のフィードバック

  1. Kanto9さん
    遺跡は朽ちて形を変えますが、自然は当時と変わらないと思いますと、嬉しくなります。

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