私達の生活は白黒で判断できないことで満ちている。そのような時に「こんな時にイエス様ならどうしただろう」という問いかけが私達にとってとても大切なものとなると思う。そして、その場合に問題となるのは私達が各自、どんな「イエス像」というものを、聖書の中から受け止めているのかということ。
教会の一致とはそこに集う者達が、どれだけこのイエス像について(全く同じものではないとしても)、少なくとも同じぺージの上に皆が立つことができるか否かによるのではないかと思う。そして、それはなんと、とてつもない大仕事かと思う(覚悟しましょう)。
そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師としてお立てになった。それは聖徒たちを整えて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、わたしたち全ての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである(エペソ4章11節‐13節)。
マック