心の土壌

Dinner今日、アメリカでは感謝祭をお祝いします。教会では今晩「どなたもウエルカム!サンクスギビングディナー」を備え、子供から大人までこの日を喜び、感謝し、楽しみます!

さてさて以下は昨晩のサンクスギビング・イブ礼拝にてお話したショート・メッセージです。よかったらお召し上がりくださいませ。

松下電器の創業者、松下幸之助は、新入社員を雇う面接の時に必ずこの質問をしたそうです。「あなたの人生は、今までツイてましたか?」そして「いいえ、ツイてません」と答えた人は、採用しなかったそうです。逆に松下さんは「ツイてました」と答えた人は積極的に採用したそうです。

なぜ松下さんは「自分はツイている」と言った人達を採用したのでしょうか。「わたしはツイてます」と言える人の心には、何があるのでしょうか?「わたしはツイてます」と言える人の心には「自分の力だけじゃない」というまわりに対する「感謝」の気持ちがあるのだそうです。すなわち「ツイていた」ということは「私はなんと恵まれているのだろうか」ということであり、イコール「私はなんと多くの人に助けられてきたのだろうか」ということを意味するからだそうです。

 反対に「ツイていない」ということは、自分の「人生には不運が多かった」ということです。そして「不運だ」と思う心は大抵「なぜなら、あれがあったから、これがなかったから」と物や自分以外の人達に対する不満があることであり、松下さんはそのような心は不毛の地であり、そこからは何も育たないということをよく知っていたのではないかと思われます。

このことを心にとめて、聖書を開いてみましょう。

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マルコ4章1節‐9節、14節‐20節

イエスはまたも、海べで教えはじめられた。おびただしい群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわったまま、海上におられ、群衆はみな海に沿って陸地にいた。イエスは譬で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた、「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。

 このたとえ話をイエス様はこのように説明されました。

種まきは御言をまくのである。道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。

 

種は落ちた場所によってその後の結末が異なりました。

 

■道ばた:御言葉を聞くとすぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言葉を奪っていく。

■石地:御言葉を聞くとすぐに喜んで受け入れるが、自分の中に根がないのでしばらく続くだけである。

■いばらの中:御言葉を聞くが、世の心づかいと、富の惑わしと、そのほか色々な欲とがはいってきて、御言葉をふさぐので実を結ばなくなる。

■良い地:御言葉を聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである。

 

このたとえ話に「不満」と「感謝」という調味料をふりかけてみますと、こうなります。

 

●道ばた:御言葉を聞くとすぐに不満がやってきて、彼らの中にまかれた御言葉を奪っていく。

●石地:御言葉を聞くとすぐに喜んで受け入れるが、自分の中に根がないので、すぐに喜びが不満にとって変わるために、しばらく続くだけである。

●いばらの中:御言葉を聞くが、私達の心に絶えず不満を引き起こす世の心づかいと、富の惑わしと、そのほか色々な欲とがはいってきて、御言葉をふさぐので実を結ばなくなる。

●良い地:御言葉を聞いて受け入れ、既に日々の感謝によって十分に耕されている土地がそこにあるので、おのずと三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ。

 

松下さんの言われた「ツイている、ツイていない」ということはキリスト教信仰にはそぐわない言葉です。しかし、それを「神の恵みを知っている、知っていない」と置き換えると見えてくるものがあります。神様の恵に対する感謝という心の土壌を作りましょう。収穫はそんな土壌から生まれるのですから。

 

 「絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」(第一テサロニケ5章17、18節)。

 

 「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」(ピリピ4章6節)。

 

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