私達が誰かと食卓を囲んで食事をしていたとします。それぞれが自分の置かれている状況を話し、未来について語り、皆がそれにうなづき、笑い、新しい意見が飛び交うというような楽しい食卓です。しかし、そこに座っていた一人の人には自らの考えていることを話す機会がほとんど与えられなかったとしたら、その人は悲しく、悔しい思いをするでしょうし、そのような日が長い間、続くとするならばそれがフラストレーションとなり、いつの日かその人は自らを爆発させることによって「私はここにいるのだ(いたのだ)」ということを言い表すかもしれません。
このことが「911」を引き起こした一つの原因だったということを以前、聞いたことがあります。
一度、停戦合意に向かったイスラエル・ガザで起きている問題は結局のところ、今も停戦にいたっていないようです。正直、申しまあげますと私の場合、周りにはイスラエル側の主張を話してくれる人はたくさんいますが、パレスチナ側(アラブ側)の主張について話してくれる人はほとんどいません。
人間は不完全であるゆえに、その成すことには常に間違いがともなうという聖書的大前提にたって、私の場合、双方の主義、主張を聞くところから、特に今までよく知らなかった側の思いを聞くところから、全てが始まるのではないかと、そんなことを最近は考えています。
マック