今日、聖書のルカによる福音書を読んでいましたら、こんな一文に心がとまり、イエス様の「受肉」ということに思いがいたりました。「受肉」とは神学的な言葉で神のひとり子イエス・キリストが人の姿をとられたということを意味し、それはまさしく、クリスマスの出来事を指しています。
『群衆の中のひとりがイエスに言った、「先生、わたしの兄弟に、遺産を分けてくれるようにおっしゃってください」。彼に言われた、「人よ、だれがわたしをあなたがたの裁判人または分配人に立てたのか」』(聖書:ルカ12章13節-14節)
それにしても当時の人間はイエス様にこんなことまでも頼んでいたのですね。この思いがけない聖書の言葉を読んで、これまで持ったことのない視点で、あらためて受肉というものが、どんなことを意味するのか、目が開かれたように思います。
『キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた』(ピリピ2章6節-8節)。
マック
追伸:牧師にも色々なお尋ねがあります。