グレッグ・ロリーという牧師がいます。アメリカでも10の指に入るメガチャーチとして数えられているリバーサイドのハーベスト・クリスチャン・フェローシップの牧師です。
彼の両親は彼が幼い時に離婚をしました。最初の離婚の後に彼の母親は再婚、そして離婚を繰り返し、グレッグ牧師には五人のステップ・ファザーがいました。彼が9歳の時、彼の母は既に何度か離婚をしていましたが、その時のステップ・ファザーはとても優しく、彼が長年待ち望んでいた安定した生活を送っていました。
しかし、ある秋の日、彼が表通りで遊んでいると、家の前にリムジンが止まりました。そして、家の中から荷物が運び出されているのです。彼はこれまでも経験した辛い思いをしなければならないのかと母に聞きました。「どこに行くの?」「ハワイよ」。おそるおそる聞いてみました。「お父さんは?」「お父さんは一緒に来ないの」。ハワイまでの長いフライトの間、彼はお父さんだった人の顔を次々と思い浮かべていました。ホノルルの空港につくと次の父が待っており、ハワイでの生活が始まりました。しかし、結論から言いますと、結局、このハワイでの生活もこの男性の母への暴力によって破綻します。
それから母と彼は南カリフォルニアに帰ってきます。やがて彼は成長し、それまでの生活に対する反抗から、自暴自棄な生活をしていきます。あらゆるドラッグに手を染めていき、生活は荒れすさんでいきます。自分ではそんなところから抜け出したい、そんな生活はうんざりだと思いながらも、その生活を抜け出すことができないのです。そして、彼はそのままの生活を続ければ彼はその命すら失うかもしれないような人生を送ります。
しかし、そのような彼が色々なところを通りながら、イエス・キリストに出会うのです。イエス・キリストに出会うとはどういうことか、それはイエス・キリストを信じるということです。そのキリストの十字架を信じることによって、彼はその人生の方向を変えたのです。そして、神様は彼の信仰を喜び、その後に新しい人生のビジョンを与え、彼は今、世界中にこのイエスの素晴らしさを伝えているのです。実に彼は自分の境遇と環境を信仰によって乗り越えたのです。
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境遇と環境を克服する信仰
へブル人への手紙11章1節-6節
1さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。2昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。3信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。4信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。5信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。6信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。
聖書の中には色々な人間が出てきます。ある人達に関して言えば、その生まれから最期に息を引き取るまでの人生がほぼ全て描かれている人。一つの出来事に関わっているという理由でその時だけ出てくる人達、またその人が何をしたかということはなく、ただ名前だけが出てくる人と様々です。その中で今日、私達が見ようとしているエノクという人はとてもユニークな人です。聖書中に彼がどんな人間であったかということを記している主な箇所は以下、三つとなります。まず最初に創世記5章18節と22節から24節です「ヤレドは162歳になって、エノクを生んだ」(18)
「エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神と共に歩み、男子と女子を生んだ。エノクの年は合わせて365歳であった。エノクは神と共に歩み、神が彼を取られたので、いなくなった」という箇所。
そして、今日開かれていますヘブル書の「信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである」という箇所です。このところから今日は三つのことを見ていきたいと思います。まず最初にエノクの生きた境遇ということです。
エノクの生きた境遇 「ヤレドは162歳になって、エノクを生んだ」(18)
エノクについて聖書は多くを語りません。しかしながら、この一行の記録には私達が想像できる多くのことがあります。それはエノクにも父母がいたということであり、彼はその親のもと育てられたであろうということです。
創世記はアダムとイブという男と女から始まった子供達、またその子供達がまた子供を生みその一族が増えていくことが書かれています。すなわちその始まりは一組の夫婦であり、そこから家族、そしてそれがやがて民族となっていく、その変遷が記されています。先週はカインとアベルというアダムとイブの息子達について、その兄が弟を殺してしまったということをお話ししました。人間は人類二代目にして同じ母から生まれた骨肉の兄弟を殺すという絶望的なことをしました。そして、その人間の性質というものは、罪として私達にも受け継がれているのだというのが聖書のいうところです。
以前、説明しましたので、今日はしませんがその当時の人間は、今日では考えられないほどに長生きをしました。聖書によりますと、エノクの父ヤレドにおいては162歳でエノクを生み、その後962歳まで生きたというのです。この人間達の寿命の長さはノアの洪水まで続きます。しかし、ノアの洪水による地球環境の劇的な変化以降は人の寿命は120年になると聖書は記しており、この数字は今日、人が生きる寿命のほぼ限界となっています。
私は個人的にこの洪水の後に寿命が120年となったことに感謝します。もし、私がこれからあと920年生きなければならないということになりましたら、私は目まいがしてしまい、生きることに疲れてしまうのではないかと思います。どうでしょうか。これから今までの人生の23倍の長さの人生を生きるとなったら「私は結構です」といいたくなります。野球は9回までだから楽しいのであって、346回あるゲームは誰も見たくはありません。そのような観方をしますならば「死」というものにも神様の愛がこめられているようにさえ思えてきます。
この創世記の5章には「アダムとイブ以降に誰々が生まれ、何年生きて死んだ」というようなことが書かれています。そして、それを計算すれば、エノクは祖アダムから数えて七代目の人であったことが分かり、アダムは930歳で死んだと聖書は記していますから、計算していきます時に、エノクの時代にはまだアダムは生きていたと思われます。すなわち、七代の家族が互いに親族として生活していたことがうかが知ることができます。
皆さん、想像してみてください。そこにはじいちゃん、ばあちゃん、曾じいちゃん、曾ばあちゃん、その先にも4、5組のじいちゃん、ばあちゃんがおり、その兄弟がおり、おびただしい数の嫁や婿、そして姑や舅もいる。以前、曾孫までもつご高齢の方と話していたのですが、「孫まではいいけど、その先は誰が誰なんだか分かりません」と言っておられましたが、まさしくもう誰が誰だか分からないのような親族です。
さらに人間は7代もさかのぼれば、その中にはあらゆる人間が含まれているわけで、中には穏やかな人もいれば、問題ばかり起こす人もいたことでしょう。とりわけ親族というのは互いの関係が近いがゆえに、起きてくる問題も深刻となります。今日とて血を分け合う者達の集まりなのだから問題などないと考えている人はなく、それどころか私達が抱える人間関係の問題の多くは親族、しかも、それが自分に身近になればなるほどに大きくなるが実情です。実際に聖書の創世記には何が書かれているかといえば、それは夫婦、親子、兄弟姉妹同士、そして親戚同士の争いなのだといっても過言ではありません。
そのようない意味において、エノクも長い間、この親族の間で色々ともまれて生きたに違いありません。なにせ人類最初の夫婦、アダムとイブはあのエデンの園で互いの罪をなすりつけ合い、彼らの生んだ子供達の間では殺し合いがあったというのですから、その後の七代の間に何が起きたかとを想像することは難しいことではないのです。エノクはこのような境遇で育ち、人生を送ったということをまず心に留めましょう。
二つめのことを見ていきましょう。それは、彼の生きた環境ということです。
エノクの生きた環境
創世記5章の系図によりますと、このエノクはメトセラを生み、メトセラはレメクと生み、レメクがノアを生んだと書いています。そう、あのノアの箱舟を造ったノアです。そして、そのノアが生きた時代、その時代とは大きく見ればエノク自身が生きた時代までも含んで考えていいと思うのですが、聖書はその時代に関する神様の思いというものを創世記6章に記しています。
5主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。6主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、7「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた(5-6)
そして、さらに11節以降には「11時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。12神が地を見られると、それは乱れていた。すべての人が地の上でその道を乱したからである。13そこで神はノアに言われた、「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう」と記されており、この後にすぐ神様はノアに箱舟を作るようにと命じているのです。
これらの世界の状況というのは、先にも申し上げましたように、エノクが生きた時代のことも含めての神様の言葉であったに違いありません。ですから、彼が生きた環境というのは家族以外にも、その生きる生活環境自体が多くの問題を抱えていた時代であったに違いありません。「人が考えることは常に悪いことばかり」、そして、地は「暴虐」で満ち、「乱れていた」。というのですから、それは大変な世の中であったのでしょう。それこそ、一人では外も歩けない、私達が今日、思いつくあらゆる犯罪が昼夜問わずに起きていた時代だったのでしょう。エノクはそんな世界に暮らした人なのです。最後のことを見ていきましょう。それは「信仰は境遇と環境を超える」ということです。
信仰は境遇と環境を超える
「エノクは65歳になって、メトセラを生んだ。エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神と共に歩み、男子と女子を生んだ。エノクの年は合わせて365歳であった。エノクは神と共に歩み、神が彼を取られたので、いなくなった」(創世記5章22節)
「信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである」(ヘブル11章5節)
もし、今までお話してきましたことで今日の話が終わるとしたらなんとフラストレーションがたまるでしょうか。所詮、自分達は境遇と環境から逃れることもできずに、諦めてそれに支配されて生きていくのだ、昔もそうだったんだから、今もしょうがないのだということで終わることになるのですから。
しかし、この諸悪がはびこる只中に聖書は一つの輝く星について書いています。その星こそがエノクその人なのです。ここを読む時に、私達は今までお話したような境遇と環境の中で、エノクは神と共に歩んだということを知ります。そして、驚くべきことに彼は死を経ないで、天に移されたというのです。この辺りのことは、もう私達の想像を超える出来事になりますが、分かりますことはこのエノクはその生涯、神と共に歩み、それは神に喜ばれた生涯であったということです。
しかし、一つ私達はここで知っておかなければなりません。それは注意深く読まなければ読み過ごしてしまうようなことなのですが、聖書は「エノクはメトセラを生んだ後に、300年神と共に歩んだ」と記していることです。それはどういうことを意味しているかといいますと、彼は65歳でメトセラを生んでいますから、それまでの65年間、彼は普通の人となんら変わらず、生きていたということです。聖書は「それ以前」と「それ以後」を明確にここで区別しているのです。
その65歳の時に何があったのかは分かりません。65年といえば、今の人間の人生に換算すれば、長い年月です。人に何かをしたいという欲があるとしますならば、おそらくその欲がいいものであれ、邪悪なものであれ、そのほとんどをし尽くすのに十分な年月だったかと思われます。どちらかというと、その人生の後半に差し掛かる時です。そのような長い年月、彼は神なしで生きていたようです。ですから、きっと彼もその境遇と環境に染まり、勝手気ままに生きていたことでしょう。しかし、細かい理由は記されてはいませんが、彼がその最初の子、メトセラを授かった時から、彼は神と共に歩み始めたというのです。そして、その時に彼は何をしたのかといいますと、彼は信仰の決断をしたのです。
以前、今は日本にいるM兄が娘のHちゃんが生まれたことが、信仰を持つ大きなきっかけになったと聞いたことがあります。彼はとても優秀な学者ですが、その彼が我が子が妻の胎に宿されたと知った時に、神様を信じたというのです。エノクも初めて、わが子を抱いた時に、自分の力を超えた神様を信じ、その時から神と人生を歩み始めたのかもしれません。65歳まで彼は「神を喜ばす者」ではありませんでした。生まれつき「神を喜ばす人はいません」しかし。彼はある時から、その自分の生き方の方向を変えることを自ら決断し、神と共に残りの人生を歩んだのです。そして、その時から彼は神を喜ばす人生を歩み始めたのです。
皆さん、聖書は一つのメッセージを私達に語りかけます。それは、私達はいつでも人生の方向を転換できるということです。もっとストレートに言いますならば、私達は人生をやり直せるということです。それに遅い、早いはありmせん。その時には、神様は何かしらのきっかけを与えてくださいます。それはエノクのように子供が誕生した時なのかもしれません。とてつもない試練に直面する時かもしれません。それがなんであれ、神様はその時を通して私達に語りかけるのです。
そして、その時に私達は信仰をもって神を信じるのです。その信仰は「境遇」と「環境」を超えるものです。俺の私の育ちは、また生きてきた環境はこうだったから、どうせ駄目だ。今まで駄目だったから、これからも駄目だということではないのです。そのようなものを超えていかせる力が信仰にはあるのです。
グレッグ・ロリーという牧師がいます。アメリカでも10の指に入るメガチャーチとして数えられているリバーサイドのハーベスト・クリスチャン・フェローシップの牧師です。
彼の両親は彼が幼い時に離婚をしました。最初の離婚の後に彼の母親は再婚、そして離婚を繰り返し、グレッグ牧師には五人のステップ・ファザーがいました。彼が9歳の時、彼の母は既に何度か離婚をしていましたが、その時のステップ・ファザーはとても優しく、彼が長年待ち望んでいた安定した生活を送っていました。しかし、ある秋の日、彼が表通りで遊んでいると、家の前にリムジンが止まりました。そして、家の中から荷物が運び出されているのです。彼はこれまでも経験した辛い思いをしなければならないのかと母に聞きました。「どこに行くの?」「ハワイよ」。おそるおそる聞いてみました。「お父さんは?」「お父さんは一緒に来ないの」。ハワイまでの長いフライトの間、彼はお父さんだった人の顔を次々と思い浮かべていました。ホノルルの空港につくと次の父が待っており、ハワイでの生活が始まりました。しかし、結論から言いますと、結局、このハワイでの生活もこの男性の母への暴力によって破局します。
それから母と彼は南カリフォルニアに帰ってきます。やがて彼は成長し、それまでの生活に対する反抗から、自暴自棄な生活をしていきます。あらゆるドラッグに手を染めていき、生活は荒れすさんでいきます。自分ではそんなところから抜け出したい、そんな生活はうんざりだと思いながらも、その生活を抜け出すことができないのです。そして、彼はそのままの生活を続ければ彼はその命すら失うかもしれないような人生を送ります。
しかし、そのような彼が色々なところを通りながら、イエス・キリストに出会うのです。イエス・キリストに出会うとはどういうことか、それはイエス・キリストを信じるということです。そのキリストの十字架を信じることによって、彼はその人生の方向を変えたのです。そして、神様は彼の信仰を喜び、その後に新しい人生のビジョンを与え、彼は今、世界中にこのイエスの素晴らしさを伝えているのです。実にグレッグ・ローリー牧師は自分の境遇と環境を信仰によって乗り越えたのです。
私は皆さんお一人お一人の歩んでこられた人生を知りません。その育った境遇や環境というものを知りません。お一人お一人が色々なところを通ってこられたことと思います。もしかしたら、皆さんの中にその自分の生い立ちやその後の暮らしというものを今も引きずって生きてる方がいるかもしれません。あるいは今、現在の環境というものにもううんざりしているという方がいるかもしれません。
先日、ゴルバチョフ大統領と明治大学の学生の討論会を放映していました。かつて各国のリーダー達と渡り合い、冷戦を終結したこのリーダーはこれからの世界についてこう言っていたのが印象的でした。
「最近なんだか不安だという声をよく聞きます。私達はどこに向かっているのか。これからどうなるのか。誰に何を期待すればいいのか。誰も答えてはくれません」。
かつて歴史を二分する大仕事をし、今も世界中を駆け巡り、その世界に住む人達に出会う機会があるリーダーのとても重い言葉です。ゴルバチョフさんは、未来に対して、その状況というものが見えない、そして不安だと人々が言うのをよく聞くというのです。この言葉にあるように、明日、自分が生きる世界はどんなものなのだろう、どうなってしまうのだろうと心配をしている方がいるかもしれません。
しかしこの朝、心にとどめてください。私達の信仰は、私達の境遇と環境すらも乗り越えさせるものであるということを。その信仰をもつ日から、私達は神と共にその人生を歩み始めることができるということを、そして神様はそれを喜んでくださるということを。 私達もエノクと同じように、神が喜ばれる人生を歩むことができるのです。私達もグレッグ牧師のように、新しい人生を歩み始めることができるのです。お祈りしましょう。
本日のお持ち帰り
境遇と環境を克服する信仰
へブル人への手紙11章1節-6節を読みましょう。
1)エノクは私達と同じ人間として、父と母をもち、家庭をもち、生きていました。特に当時の人間は長寿でしたので、彼は七代続く親族との生活をしていたと想像されます。そんな彼が生きた境遇があったように、私達にもそれぞれ自分の生まれ育った境遇があります。あなたはどんな家庭で育ちましたか?よかったらシェアーしてください。
2)創世記6章5節-6節、11節-13節を読みましょう。エノクが生きた時代は邪悪なもので満ちていました。あなたは今、私達が暮らすこの社会をどのように見ていますか。現代社会が抱えている問題とは何でしょうか。私達が生活する環境はどのように私達に影響があるでしょうか。あなたは子供達の未来についてどんな心配がありますか。
3)創世記5章21節-22節を読みましょう。このところから、エノクは65年間、神なしの人生を生きたことが分かります。しかし、彼に子供が与えられてから、彼は神様を共に歩み始めました。あなたには信仰をもつきっかけ(教会にくるようになったきっかけ)がありましたか。エノクは65年間、その境遇と環境によってどのように支配されていたと想像できますか?
4)創世記5章24節にはエノクが「神に喜ばれた者と、あかしされた」と書かれています。あなたにとって幸いな生涯とはどんなものでしょうか。それは境遇と環境によって左右されるものですか。あなたは神様への信仰が私達の境遇と環境を(たとえ、それらが喜ばれるようなものではなくても)、乗り越えさせると思いますか。なぜ、そう思いますか?