断腸の思い

01-Easter_Nails聖書の中には私達に対する神の「あわれみ」という言葉が何度も出てきます。旧約聖書のエレミヤ書はこの「あわれみ」を「はらわたがわななく」と表現しており(エレミヤ31章20節)、また新約聖書の原語であるギリシア語ではこの「あわれみ」の直訳を「はらわたがつき動かされること」としています。

これに近い言葉として私達は「断腸の思い」という言葉を使いますが、この「断腸」という言葉はこんな中国の故事からきているそうです。

東晋の武将・桓温が長江が流れる三峡までやってきたところ、兵士の一人が子猿を捕まえ船に乗せた。すると、その母猿が岸づたいに泣き叫びながら百里以上もついてきて決して離れようとしない。遂にこの母猿は船に飛び込んできたが、そのまま息が絶えてしまい、その腹を裂いて調べてみると、その腸がずたずたにちぎれていた。このことを聞き、桓温は非常に悲しみ、その兵士を罷免した(『世説新語』より)。

イエス様の受難週を来月にひかえ、神のあわれみ、神の痛みを想います。

『わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す。それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない』(新改訳聖書:エレミヤ31章20節)

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