無意味に意味を与える神

無意味と思われることに意味がある。それが信仰の世界です。

今日、礼拝でお話したメッセージです。                                         よかったらどうぞ↓

無意味に意味を与える神

2010年5月23日 へブル11章23節‐29節

23信仰によって、モーセの生れたとき、両親は、三か月のあいだ彼を隠した。それは、彼らが子供のうるわしいのを見たからである。彼らはまた、王の命令をも恐れなかった。 24信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、25 罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、26キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである。27信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。28 信仰によって、滅ぼす者が、長子らに手を下すことのないように、彼は過越を行い血を塗った。29信仰によって、人々は紅海をかわいた土地をとおるように渡ったが、同じことを企てたエジプト人はおぼれ死んだ。

私の手元に高校時代に使った世界史の年表があります。その見開きにはエジプト文明の歴史が記されています。そして、その中には紀元前1230年、モーセがエジプトを脱出すると書かれています。時々、聖書というのはおとぎ話であると誤解している人がいますが、そうではなく聖書は史実に基づいた書物です。

その時代のエジプトの王パロは当時、実に400年もの間、奴隷となっておりましたヘブル人の数が増え続け、力をつけることに脅威を感じ「奴隷から生まれた男子は全て殺せ、ナイル川に投げ込め」という命令を出しました。

その時、一組のへブル人の夫婦に男の子が与えられました。この夫婦はパロの命令を知ってはおりましたが、親なら誰しもそうするように三月もの間、この男の子を隠しておきました。がしかし、とうとう隠しきれなくなり、パピルスで編んだカゴに防水加工をしてナイル川の岸辺、葦が生い茂る所にその幼子を浮かべました。ちょうど、その所にエジプトの王、パロの娘が体を洗いに来、彼女にその子は見出されて、引き取られ王宮で育つようになりました。

当時のエジプトは世界一の先進国でした。ピラミッドをはじめとする土木技術、天文学、地質学、そして医学、この医学にあっては、現在、発掘される当時の人の遺骨に既に人間の頭蓋骨を開いてなされたであろう脳の切開手術の痕跡もあるといいます。また、世界最古の大学はエジプトのアレキサンドリアにありました。この文明大国エジプトの王宮でモーセは帝王学を学んだのです。後にステパノは「モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ」(使徒行伝7章22節)と彼を評価しています。

そのモーセも成長しその年、およそ40歳となりました。彼はいつも自分の同胞の民達がエジプト人によって激しい労働を課せられていることを見て、複雑な気持ちでいたに違いありません。そんなある日、一人のヘブル人がエジプト人に打たれているのをモーセは見ました。彼もヘブル人ではありましたが、エジプトの王宮で育ちました。しかし、その体にはヘブル人の血が流れていました。それゆえにその光景を見て心に義憤を感じたのでしょう。辺りを見回し誰もいないのを見て、そのエジプト人を打ち殺してしまいました。そして、その屍を砂の中に隠したのです。

その翌日、またモーセが出て行ってみると、今度は二人の同胞へブル人が互いに争っているのを見ました。正義感の強いモーセはその二人のためを思い、その仲裁にあたろうとしました。しかし、その一人がモーセに言ったのです「誰があなたを立てて、われわれのつかさ、また裁判人としたのですか。エジプト人を殺したように、あなたは私を殺そうと思うのですか」。それを聞いた「モーセは恐れた」と聖書は記しています。あんなに周りを見回して、誰にも気がつかれずにした昨日の事であったのに、もう知れ渡っている。しかも、同胞の民を思ってしたことなのに、同じ同胞の民から、この言葉を聞いた。そして、彼が恐れたように、エジプトの王、パロはこれを聞いてモーセを殺そうとしました。モーセはパロの殺害から免れるために逃亡するのです。

聖書は彼が逃れた地について「ミデアンの地」としか記していませんが、そこはエジプトの都会の喧騒を何も感じない、何もない荒野であったといいます。そこにモーセはエジプトで手に入れることができたであろう全てのものを残して逃れていきました。そして、そこで不思議な導きの中、一人のチッポラという女性と出会い、彼女はモーセの妻となるのです。

この二人には一人の男の子が与えられ、その子に「ゲルショム」という名前がつけられました。その名前の意味は「わたしは外国に寄留者となっている」という意味です。そして、それは彼の人生を意味するものでありました。実にモーセはその荒野で40歳から80歳までの40年を生きたのです。

40歳の頃、同胞への思いからエジプト人を打った時、彼の腕力と知力はまさしく充実していたことでしょう。人生経験もある程度して、体力もあり、一番、旺盛に働ける時だったに違いありません。その一番充実していた時に彼は何もないミデアンの荒野に逃亡したのです。そして1、2年ならまだしも、そこで、彼は40年、つまりその年80歳になるまで羊飼として毎日を暮らしたのです。その人生のプライムタイムを彼は何もない荒野で過ごしたのです。

物を失うならまだいい、物なら再び手に入れることもできるでしょう、しかし、何よりも私たちにとって口惜しいのは、大切な「時」を失うことです。その時でしかできないと思われる事が私たちにはありますが、口惜しいのは、まさしくその時にそれが出来なかったということです。過去を振り返り、あの時、ああしておけば、あそこに行っておけばよかったということほど残念なことはありません。

私たちにはモーセの一日が容易に想像できます。朝、まだ暗いうちに起きて、羊を連れ出して荒野に出て行く。どうやらこうやら僅かに生える緑の草を探し、羊を養う。サンサンと照る太陽が日中、焼けつくようにモーセを照らす。そして、やがて真っ赤な太陽が、何もない大地に沈んでいく。ある時は外で野宿、ある時は家に帰る。そんな毎日が1月、1年、10年、そして40年続く。それと同時に灼熱の太陽で焼けた自分の体にはシワが増え、あご髭にも白いものが混じってくる。意気盛んにエジプト人の胸ぐらを掴んだ日も遠い昔のように思えてくる。それが彼のミデアンでの日々でした。

かつては民族解放の熱い思いもあった。エジプトという国の内部を見るにつけ、自分の果たすべきヘブル人としての使命もあったに違いない。エジプトの王宮にいた時は、役人や兵士達が彼の前に膝まずいたのです。しかし、今、彼の前にひざまづいているのは羊の群れです。かつて心を熱くした思いは全て、みな遠い昔のことになってしまい、もう自分の人生はこのまま人知れずに、この荒野で終わるのだろうと思ったに違いありません。

私たちもそう思うことがあります。一体、この自分が今おかれている状況は何なのか。この状況の中で自分は埋もれていくのか。これは何という遠回りだろうか。このことが自分の人生にとって何かしらの益となるのだろうか・・・。しかし、私たちが信仰の目をもって彼の生涯を見ていくと、私たちには到底、思いも浮かばないことが、このモーセの40年にあることを見出すことができるのです。

先にも触れましたモーセが苦しむ仲間を救うためにエジプト人を打ったというところに、私たちは彼の同胞愛を知るのです。確かに彼は、その心に熱い思いを持っていたと!。しかし、その彼に対して向けられていた視線がありました。それは父なる神の視点でした。

この時のことをステパノは後に使徒行伝7章23節―25節にこう記しています「40歳になった時、モーセは自分の兄弟であるイスラエル人たちのために尽くすことを思い立った。ところが、その一人がいじめられているのを見て、これをかばい、虐待されているその人のために、相手のエジプト人を撃って仕返しをした。彼は自分の手によって神が兄弟たちを救って下さることを、みんなが悟るものと思っていたが、実際はそれを悟らなかったのである」

彼は自分の手によって神が兄弟たちを救って下さることを願っていました。私たちには何の違和感もなく感じるこのモーセの姿に実は問題がありました。それは激情して、自分の力によって問題を解決しようとした彼の姿でありました。彼は自分ならば、同胞の民も支え、自分ならば仲間を救うだろうと彼らが悟るだろうと思っていたのです。彼には心に燃える思いがありました。しかし、その自信はすぐにぐらついたのです。彼には勇気があったことでしょう。しかし、彼は神に全幅の信頼を置く「神の人」ではありませんでした。自分の主導権で行動しても、それは神の委託ではなかったのです。自分の力に頼る彼を神様は用いることができなかったのです。

そこで彼はミデアンに逃れたのです。お忘れなく!私たちは今、私たちの理解と視点ではなく神様の視点でこの出来事を見ています。はじめの内は、再起の機会をうかがっていたモーセであったでしょう。しかし、その機会は待てども暮らせどもやってこない。来る日も来る日も単調な毎日。まさしく彼の人生は、このまま忘却の中に永遠に葬り去られるかのように思われました。

しかし、この時こそが神様がモーセに与えた、エジプトにいた時にも勝る準備の時だったのです。今日は、この一言を心に刻んでお帰りください。「この世の教育は人を賢くします。しかし、神の教育は人をむなしくする」のです。モーセは自分の内にもはや何の信頼をもつことができなくなりました。神様はむなしくない器を用いることはおできになりません。一見、無意味、無駄に思えるその時に、神様はモーセを神の僕として造り上げていたのです。

創世記46章34節を見てみますと「羊を飼う者はすべて、エジプト人に忌み嫌われる」と書かれています。「エジプトのあらゆる学問」を究めたモーセは、そのかつて自分が王子として住んでいたエジプト人の忌み嫌うことに40年を注ぐことになりました。

弱い羊を養い導くためには、忍耐を要します。性急なモーセも、羊と共に忍耐をもって彼らを理解し、彼らと同じペースで生きることを学ばなければなりませんでした。そして、それこそがこの後、彼がイスラエルの民を40年、荒野で導くために絶対不可欠なことでした。詩篇77章20節は言っています「あなたは、その民をモーセとアロンの手によって羊の群れのように導かれた」。また、民数記12:3にはモーセは「全ての人に勝って柔和であった」と書かれています。

自分の思う通りには動かない羊を導くには長い年月の訓練が必要だったでしょう。そして、それによって学んだことが彼の後に必要なことになりました。「自分の思うようにはいかない」という中で、彼は「全ての人に勝る柔和」を得たのです。

これらは、このミデアンの40年に培ったものであったでしょう。空虚な砂漠の40年こそが彼の最も必要な時だったのです。そして、それだけではありません。荒野において額に汗して働くということ、それはエジプトの宮殿ではありえないことでした。羊の毛を刈って、加工し、毛布を作ること、乳をしぼること、乳製品の製造、毛皮をはいで天幕や上着を作ること、肉を塩づけして貯蔵すること、他民族との交渉と物々交換のやり方、またその地方の地理、天候、風土、言葉と人情。これらはエジプトでは何一つ学べないことでした。そして、荒野の静寂の中で静かに神に向き合う日々。このような生活をして、あの大胆にして自信満々、傲慢であったモーセの性格は練られ、彼はいまや落ち着いた円熟した人間、荒野で生きるプロフェショナルへと変えられたのです。

誰も気がつかなかったでしょう。モーセ本人ですら気がつくことはなかったことでしょう。しかし、これこそが神様のモーセに対するご計画でした。神の計画はあまりにも高くて壮大で私たちには掴みきれません。彼がミデアンの荒野で培ったことは、後に彼が何百万ものイスラエルの民をエジプトから導き、これまた40年の間、荒野を旅するために必要な学びとなりました。もし、彼がエジプトで机上の学びだけで終始するならば、彼はイスラエルの民を荒野へと導くことは絶対に出来なかったことでしょう。

神は神を愛する者達、すなわり、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」(ローマ8章28節)とあるとおりです。

私は神学校を卒業してすぐに沖永良部島に遣わされました。何年も専属の牧師がいない場所でした。当時はまだ一人身でもあり、抱えている問題も全て始めての経験、祈りあい、悩みを分かち合う人もおらず度々、自分の無力さに打ちのめされてしまうようなこともありましたが、しかし、その時に「汝ら静まりて、我の神たるを知れ」(詩篇46篇10節)ということを教えられました。そのことを心に刻むことができたのは、幾千冊の本を読むことによって補うことができるようなものではありませんでしたし、今、思う時にあの年月がなければこれまでの自分はないと確信しています。

皆さん、モーセの生涯は現代を生きる私たちにも語りかけてくるのです。私たちが置かれている状況を見つめ、導いておられるお方がいる。私たちの目に挫折と思われること、私達の目に失敗と思われることすらも、神様はそれらを益とかえ、後につながる大切なものとして取り扱ってくださる。実にそれは無意味に思えることを意味あるものへと変えてくださる父なる神様の私達に対する深い、深い、愛に他なりません。悲しみに心ふさぎ、涙を流すことがあったとしても、その涙は決して無駄にはならないということをモーセの生涯は私達に教えてくれるのです。お祈りしましょう。

本日のお持ちかえり

2010年5月23日      

1)聖書に登場するモーセの人生は40年ごとに四つに分けることができます。最初の40年はエジプトの王宮に迎えられ、帝王学を学んだ年月。次の40年は王宮から逃れて、荒野で寂しく家畜の面倒に開くくれた年月。最後の40年はエジプトに戻り、奴隷となっていた400万人ものイスラエル民族のリーダーとして、エジプトの支配か脱出し、荒野を放浪した年月。あなたのこれまでの人生の年表を作ってみましょう。それによって、何か気がつかされることはありますか。

2)使徒行伝7章23節―25節を読んでみましょう。かつてエジプトにおいて同胞愛から仲間を助けたモーセは何によってその救出をしようとしたのですか(25節)。ここに見出される問題は何ですか。

3)40歳以降、彼がさらに40年を荒野で羊と共に暮らした時、彼の脳裏にあった思いはなにでしょうか。「この世の教育は人を賢くします。しかし、神の教育は人をむなしくする」という言葉の意味は何だと思いますか。

4)彼が80歳となりエジプトからイスラエルの民を救い出し、40年もの間、荒野を旅する時にリーダーとして求められる素質と経験はどのようなものですか。それらの経験を彼はどこで習得しましたか。

5)私達の人生には遠回りと思われるもの、無意味と思われるものがあります。しかし、それらを信仰の目で見直すならば、その遠回りこそ最も必要なもの、その無意味なことには確かに意味があるということを見出します。あなたはそのような発見をしたことがありますか。

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