痛い経験

ph_07いよいよ、今年もあと三週間となりました。これからのシーズン、車のハンドルを握る者達は先を急ぎ、不注意な事故が増えます。

今朝、教会までフリーウエイを運転しながら昔のことを思い出していました。あれは高校三年生の時、ちょうどこのシーズンだったと思います。当時、私は湘南海岸沿いにある「城門」というラーメン屋でアルバイトをしていました。学校が終わって、夕方から厨房に入り、閉めの夜中二時半まで働いていました(店長がおおらかだったのでしょうか、今考えると高校生でこの労働はまずいですね)。

仕事が終わり、いつものように単車にのり、海岸線の裏道をはしっていました。緩やかなカーブが前方にあり、『バリバリ伝説』の主人公巨摩 郡を意識した愚かな私は、スピードを下げずに恰好よくハンドルを切ろうとしたところ、ガードレールに激突、バイクは前輪のフロントフォークとスポークが曲がり、私の身体も投げ出されました。さいわい怪我はなく(バイクの修理費はかかりましたが)、側を歩いていたおばあさんが(よくあの時間帯にいてくれました)、10円玉をくださったので友人に電話をして、助けにきてもらいました。

あれから25年が経ちますが、今でもあの時、ガードレールが目の前に迫ってき、ドキッとした恐怖を忘れることができません。そして、さいわいなことはその感覚ゆえに、以来、カーブを曲がる時にはとても慎重になりました。もし、あの事故がなければ、変わらずスピードを落とさずにカーブを曲がろうとして、大きな事故を起こしていたかもしれません(免許取り立ての子は、運転に慣れて来るとカーブをかっこうよく曲がろうとするものですが、彼らはアイルトン・セナではないのです)。あの時の経験が後の私を守り続けているという事実、そのような意味であの痛い経験はとても大切なものでした。

子供達を見ていると危なっかしいと思わされることが度々あります。彼らが全ての危なっかしさから免れることは難しいことかもしれません。ゆえに彼らもこれから何かしらの痛い経験をすることでしょうが、その経験が最少で済むこと、そして、そこから後に彼らを守る教訓を得てほしいと心から願い、祈っています。年の暮れ、格好良くなくてもいい、安全第一でいきましょう。

マック

追伸:思えば聖書中の多くの人間も痛い経験をしました。しかし、その経験は無駄にはならずに、その経験がさらに一歩、神の御側に彼らを導いたのです。

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