昨晩、森繁昇さん、森繁さんの友人の高橋さんといつもの中華料理屋でラーメンをすすりながら、色々なことを話しました。印象的だったのは森繁さん曰く、音楽で一番大切なことは「メロディーに込められた言葉」であるということ。「言葉」こそがその音楽を聴く人の魂に届きうるものであるということでした。ちょうど来る日曜日の礼拝ではヨハネによる福音書を語らせていただく予定で、その準備している者にとって、全く同じ事を考えていたので、深く同感しました。
世の中には諸々の宗教があります。その多くが瞬間的な感情に何かを訴えてくるものです。「おー今、鳥肌がたったぞ」とか「ぞくぞくとした」というのは、その瞬間には強烈なインパクトがありますが、その気持ちがその人の人格や日常生活に影響をおよぼすことはほとんどありません。「フィーリング」にとどまっている限り、それはまさしく「その時、感じている」ことであり、時がくればその「感じ」は消えてしまいます。人生に起こりうる諸々の荒波は私達のフィーリングによって太刀打ちできるようなものではありません。
しかし「言葉」は私達の心に刻まれます。創世記が『神は「光あれ」と言われた、すると光があった』で始まった時から、神は「言葉」によって私達の心に語りかけるという偉大なる戦略をもっておられたようです。そして、その言葉を受けてイエスの弟子ヨハネが『初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった』と書き記したことによって、私達はこの言葉が私達の人生の土台になりうるということを確信したのです。
森繁さんは訪日する度に改造したマイクロバスに乗り、日本各地の「道の駅」で路上ライブをしているとのこと。これからの夢は1000箇所もある道の駅を全てまわりたいということでした。森繁さんの奏でる言葉が、道の駅で羽をやすめて次の場所に向かう方達の心に刻まれますようにと祈っています。
さぁ、今日はこれから二回のコンサートがあります。メロディーにのった言葉が森繁さんの祈りと共に全ての人達の心に届きますように。
マック