ピクルスへと導かれる思い

オフディー。

Img_0425_2 午前、“ピクルス”が食べ放題のダイナーにて、妻と一週間分のほうれんそう(報告・連絡・相談)。 東の国に“紅しょうが”の牛丼屋があれば、西には“ピクルス”のダイナーあり。国は違えど、「ちょっとつまみたいな」と食の脇役に求める思いは同じ。

マック

追伸:当然、ユッケジャンにおけるキムチや、ブリトーにともなうハラペーニョもこれらに準ずるものなり。これ、すなわちワシらは皆、容姿や言葉は異なれど皆、唯一の神に造られし、同じ人間ということなり。

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ピクルスへと導かれる思い」への2件のフィードバック

  1. 真面目な話し、ピクルス食べ放題って嬉しい?沢山、食べるぞっていって食べられるもの?俺の好きなダイナーでは一本そのまま、ついてくるけど、よっぽど時間かけて努力しないと食えないよ。
    ほうれんそう、いいねえ!
    俺は20年以上前に村上春樹がエッセイ上で披露したオリジナルの造語、小さくとも確かな幸せ=「小確幸」というのがもの凄く好きなんだが、「ほうれんそう」はリズムだけじゃなしに単語になってんのが凄いな。

  2. ここのピクルスは日本の漬物に近いものがあって、特別うまいぞ。ちなみに長男坊はピクルスが大好物だ。ワシも今日は5つは腹に入れました。

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