教会は基本的に誰にも開放されている。ドアベルが鳴れば、ドアは開かれる。故に色々な人が日夜、教会を訪ねてくる。
昨日も一人の男性が訪ねてきた。
頭に青いバンダナを独特なスタイルで巻き、タバコを耳にはさみ、ダボダボのズボンをはき、どこかで見た格好だなーと思ったら映画「Colors」に出てくる若者たちのそれではないか(ちょっと古い話ですな)。
昨日は教会に一人だったし、何かが起きたらどうするかといくつものオプションをとっさに考えている情けない自分がいる。でも、話しを聞いていれば「オレのヒーローはブルースリーだった」などとお茶目なことを言う。
そして、最後には「オレのために日本語で祈ってくれ」と言う。「日本語じゃ分からんよ」と言っても、「それでいいんだ」ということ。そして、祈り終われば「オレのために何て祈ってくれたんだい」と聞いてくる。それに答えたら、ポロリと最高の笑みがこぼれた。そして、最後にはガッチリとハグして帰って行った。
愛には恐れがない。完全な愛は恐れを取り除く。
ヨハネ第一の手紙4章18節
ジーザス道、まだまだ裾野なり、途上なり。
マック
なんか、素敵ですね。映画のワンシーンになりそう。
だけど、そうかあ、教会に一人でいると、いろんなシチュエーション、浮かびますよねぇ。。
情けなくないと思います。だって、誰だって、「こわい」っていうy気持ち、ありますもんね?
人間味あって、ホッします。(ごめんなさい、失礼なこと言ってるかも)
全然、失礼ではありませーん。人間味があると言われて嬉しいです。日々、色々なことで心が探られて、色々なことを教えられ、そして、天を見上げて、また歩き出す。一歩一歩マイペースでね。
かのヒクソン・グレイシーは言っています。”Fear is an aspect of intelligence.”恐れがあるから対策を考えるのだと。「俺は何も怖いものなんかねえ、などと言ってる輩は、ただの馬鹿だ」とも。
バッド・ボーイ君が最高の笑みを見せたのは、パスターが通り一遍の綺麗事や、おざなりの言葉じゃなしに、クールで洒落た祈りを紡ぎ、ばっちり英訳できたからに他ならないだろう。VIVA!! 我ダチ!
たしん
さすがヒクソン、百戦練磨の男の言葉だね。彼の言葉にFearとIntelligenceという言葉が並んでいるけれど、聖書の箴言にこんな言葉があるよ。
The fear of the Lord is the beginning of knowledge. (Proverbs 1:7)
主(神)を恐れることは知識のはじめである(最もこの場合の恐れるは畏れるという方が相応しいかもね)。
マック
追伸:訪問者の彼の笑顔が一日心を温かなものにしてくれました。