日本では「教育基本法」の改正にあたり、「愛国心」という言葉をそれに盛り込んでいくか否かということについて議論がなされているという。
ある文献を読んでいたら、この改正に賛成する人の意見が3つまとめられていた。
1 「愛国心」教育は家庭崩壊を抑止することになる。
2 「愛国心」教育は犯罪を抑止することになる。
3 「愛国心」教育は国際貢献につながる。
国を愛する気持ちは大切だと思う。しかし、「愛国心」と上記の3つの関係は的がはずれているように思う(国際貢献は別として、家庭崩壊や犯罪というものは私達の心の奥底に巣食うものが問題の根源なのではなかろうか。愛国心がその問題の解決になるとは思えない。その証拠に国民がみな、愛国心に満たされたら(そんなことはありないけど)、また新しい問題が生れてくるはず・・・。またまた私達の心の奥底から・・・沸々と・・・)。
私には、「ジーザスの十字架」にこそ、これらの解決があるように思えてならない(この確信は日々、増している)。
「ユダヤ人はしるしを請い、ギリシア人は知恵を求める。しかし、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える」 聖書:コリント人への第一の手紙1章22節ー23節

マック
上記の記事を書いて6時間後の追伸:下記のコメントで指摘していただいたのですが、「教育基本法」は、昨年12月に成立したということです。深く深く反省しております。ペコリ。己が失態を後世にまで残すために、記事はそのまま残します。あしからず。
はじめまして。日本でフツーの牧師をしております、フジモリと申します。
「教育基本法」は、昨年12月に成立しました(12月22日施行)。「愛国」や「愛国心」という言葉は盛り込まれず、第2条(教育の目標)の中の最後の項で、
「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」
と、当たり障りのない、当たり前すぎる表現にとどまりました。
ご参考まで
「教育基本法」
http://www.mext.go.jp/b_menu/houan/kakutei/06121913/06121913/001.pdf
フジモリ先生
コメントをいただきありがとうございました。
情報伝達がライブで伝わるこの時代にあって、3ヶ月も前に成立していたものを取り上げている自分に赤面するばかりです。
教えてくださってありがとうございます。
これに懲りずに、またお立ち寄りください。
愛国心。愛国心とナショナリズムは紙一重の所で接していますから、難しい問題ですよね。愛国心は、大切だとは思いますが、誰かの愛国心を持って、これが愛国心だと押しつけられるのはちょっとどうかと思います。
君が代を歌い、国旗を掲揚することを持って愛国心を捉える人もいれば、愛国心から、それが良くないと主張する人もいる。いずれにしても、集団の何らかの有形無形の圧力によって、愛国心というものが発揚されるとしたら、それは一種のマインドコントロールになってしまいます。
そういった意味では、本当の意味で自由が、心に与えられていることが大切なんでしょうね。「真理はあなた方に自由を得させるであろう」(ヨハネ8:32)とありますが、キリストの十字架の死と復活という出来事の中にに示された「真理」が、与える自由が大切なんでしょうね。
今週は、そのキリストの死を覚える受難週。考えさせられますね。
日本にいる私が、教育基本法が成立したのか、愛国心が盛り込まれなかったのか、知りませんでした(笑)愛国心か・・・NZにいた頃はよく、「アイデンティティー」というのを考えさせられた、その中で、自分は日本人という事実を知り、母国について考え、愛国心というか、母国に対する誇りみたいなのを抱くようになったかな・・・日本は、いい国だよ!もっと日本の歴史に自信をもたないとね!
カズゴジ先生
そうですね。その自由のフィールターを通して、国というものも見つめたいなーと思います。今、ローマ書13章を学んでいて、この辺りのことを思いめぐらしています。
さんぼ
ほんと、外から日本を眺めるということが、どんなに大切なことなのかということを日々感じるね。そして、日本を離れて暮らす日が長くなればなるほど、日本を想う気持ちは強くなるね。私にとって、日本はいつまでも心の故郷です。
変な意味じゃなくて、日の丸背負って生きる気持ちって、けっこう海外で暮らす日本人にはあるんじゃないかなー。