受難週 3

ジーザスが十字架にかかる前夜・・・。
エルサレムにある二階座敷で・・・。

ジーザスの弟子達がその場に揃った。俗に言う「最後の晩餐」の時をジーザスと持つために。当時の習慣では、人は食事をする前に手や足を洗った。そして、それは主に奴隷の仕事だった。彼らは皆、質素なサンダルを履いており、舗装された道などはない時代ゆえに、その足の汚れはそうとうヒドイものであったに違いない。

聖書を読んでいて察することができるのは、この12人の男達はいつも互いに対するライバル心を持っていたということ。隣にいる仲間を見ては自分より劣るものを発見し、どんなに自分が仲間より優れているかというを知ることが彼らの自尊心を支えているような、そんな彼らの言動を聖書の中にチラリ、チラリと発見することができる。

だから・・・・、彼らは思いもしなかっただろう。自分が誰かの足を洗うなんて。でも・・・、こうは思ったかもしれない。あいつが俺の足を洗うのなら分かる、と。互いに汚い足をしたまま、気まずい雰囲気がその二階座敷に流れていたかもしれない。

そ、その時、プライドが渦巻く空気に新しい風が吹いた。

「イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、それから水をたらいに入れて、弟子達の足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた」 聖書:ヨハネ13章3節ー5節

その場には、この直後にジーザスを売り渡す男、ユダがいたし、彼だけではない、この弟子達は皆、この数時間後には己が保身のために、ジーザスを捨てて蜘蛛の子を散らすように逃げていった。ジーザスはわが身に起こるそんな弟子達の裏切りを知りつつ、彼らの足を洗ったのだ。

この直後に釘打たれるその自らの手で・・・。

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この後、彼らの間を吹きぬけた風は、次なる場所に向かっていった・・・。

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