受難週 1

ある時、一人の女性が老齢の牧師を訪ねてきた。

彼女は自分の人生に起きた出来事について少しづつ口を開いた。

牧師は黙って聞き続けた。

その中で、一つの出来事が彼女の心から消えることなく、それが彼女の怒りとなり、悲しみとなり、恨みとなっていることが分かった。

彼女は声をふりしぼって言った・・・。

「このようなことを私の人生に起こす神など信じられるものですか!なんで、こんなことがわが身に降りかからなければならないのですか!その時、神は何をしていたというの!」。

牧師は彼女の心から溢れて出てくるその言葉をただ聞き続けた・・・・。

そして、彼女は最後に一言、こう言った

「私は神をこの世界に引きずりおろして、そして、その神の胸ぐらを掴み、ぶん殴ってやりたい」。

しばらくの沈黙の後、牧師は静かに言った。

「ご婦人、ジーザスは既にこの地に来られました。そして、人の手によって殴られ、唾をかけられ、そして両手両足が釘で刺し通されました・・・・」。

マック

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まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと」 聖書:イザヤ53章4節

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