ヤコブ:言葉を制する者は人生を制する。                                           

images (4)日常的に口に猿ぐつわをはめている人はいませんから、大抵、私達はいつでも、どこでも言葉を口にすることができます。本を出版する時には何度もその原稿が読まれて、校正されたり、不適切な表現、誤解を招くような表現があれば訂正されてから、人の手に届けられます。誰がどのように調べたか分かりませんが、人が一年間に話す言葉は平均400ページの本、132冊分になるそうです。これら口から出る言葉は簡単に検閲なしに口から飛び出します。この言葉が時に鋭利な剣のように心に突き刺ささり、ある人にとっては、その言葉が死に追い込むことすらあるのです。

私達は今までも、そしてこれからもこの言葉と無関係に生きることはできません。今日は、この誰にとっても人ごとではない私達の言葉について見てまいりましょう。

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本日、礼拝でお話した「日英両語礼拝メッセージ原稿」および「本日のおもちかえり」はこちら↓から。本日の礼拝プログラムはこちらから。

言葉を制する者は人生を制する。
ヤコブ3章1節―12節
2013年8月18日

今日、見ていきます「ヤコブの手紙」はイエスの弟であり、後にエルサレム教会の指導者となりましたヤコブが記した手紙だと言われてます。彼がこの手紙を書いたのは紀元48年頃で、初代教会の聖徒たちは各地に離散し、裕福な者が貧しい者をみくびったり、容姿で人を判断したり、荒々しい言葉が飛び交い、そのような現状を見聞きしたヤコブはこの手紙を通して「信仰と生き方の一致」を繰り返し強調したのです。私達はその行いによって救われるのではなく、イエス・キリストをただ信じることによって救われますが、その後の信仰には行いが伴うということをヤコブは繰り返し語ったのです。「信仰に伴う行い」の中で今日は私達にとって一番、身近なことについてお話ししましょう。

ヤコブ3章1節-12節をお読みします。①わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち多くの者は、教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人たちよりも、もっときびしいさばきを受けることが、よくわかっているからである。②わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。③馬を御するために、その口にくつわをはめるなら、その全身を引きまわすことができる。④また船を見るがよい。船体が非常に大きく、また激しい風に吹きまくられても、ごく小さなかじ一つで、操縦者の思いのままに運転される。⑤それと同じく、舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する。

見よ、ごく小さな火でも、非常に大きな森を燃やすではないか。 ⑥舌は火である。不義の世界である。舌は、わたしたちの器官の一つとしてそなえられたものであるが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる。⑦あらゆる種類の獣、鳥、這うもの、海の生物は、すべて人類に制せられるし、また制せられてきた。⑧ところが、舌を制しうる人は、ひとりもいない。それは、制しにくい悪であって、死の毒に満ちている。⑨わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている。⑩同じ口から、さんびとのろいとが出て来る。わたしの兄弟たちよ。このような事は、あるべきでない。

⑪泉が、甘い水と苦い水とを、同じ穴からふき出すことがあろうか。⑫わたしの兄弟たちよ。いちじくの木がオリブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができようか。塩水も、甘い水を出すことはできない。

箴言を書いたソロモンはこのような言葉を残しています。愚かな者も黙っているときは、知恵ある者と思われ、そのくちびるを閉じている時は、さとき者と思われる(箴言17章28節)。

静かに黙って神妙にしていれば、この人は何かを考えているのだ、きっと賢い知恵ある者なのだと人は思だろうとソロモンは言います。この言葉が暗示していることはお分かりのように、黙っていれば賢く見えても、口を開けば私達はやがてその愚かさを露わにしてしまうということです。いや、そんな人ばかりではないだろうと私達は思いますが、ヤコブは言います「私達は皆、多くのあやまちを犯すものである」。そしてあらゆる種類の獣、鳥、這うもの、海の生物は、すべて人類に制せられるし、また制せられてきた。ところが、舌を制しうる人は、ひとりもいない(7,8)と。

確かに人はあらゆる種類の獣、鳥、這うもの、海の生物を制してき、人は密林を開拓し、そこに道を備えたり、砂漠に都市を建設してきました。しかし、諸々の細菌を制し、地球の裏側の密林に幹線道路を造ろうと、海の真ん中に国際空港を建てようと、人はいつも自分と共にある唇を制することはできないというのです。皆さんはこのヤコブの言葉に同意しますか。

先ほど、引用した箴言には私達が生きるにあたっての処世訓がたくさん記録されていますが、落穂にも書きましたように、その中で一番多い訓戒のひとつは私達の言葉に関することです。このことは何を意味しているのでしょうか。

ソロモンの父、ダビデも切実に言っております。3主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください(詩篇141篇1節-3節)。

聖書中、最も偉大な預言者イザヤが記した言葉は宮において神様の聖なる臨在に包まれた時に、恐れおののいて『わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから』というものでした(イザヤ6章5節)。聖書中、大預言者と言われているイザヤがまず自らの心に示された罪が自分の唇から発せられる言葉であったということ、それは何を意味しているのでしょうか。

日常的にこの口に猿ぐつわをはめている人はいませんから、大抵、私達はいつでも、どこでも言葉を口にすることができます。本を出版する時には何度もその原稿が読まれて、校正されたり、不適切な表現、誤解を招くような表現があれば訂正されてから、人の手に届けられます。誰がどのように調べたか分かりませんが、人が一年間に話す言葉は平均400ページの本、132冊分になるそうです。これら口から出る言葉は簡単に検閲なしに口から飛び出します。この言葉が時に鋭利な剣のように心に突き刺ささり、ある人にとっては、その言葉が死に追い込むことすらあるのです。

私達は今までも、そしてこれからもこの言葉と無関係に生きることはできません。今日は、この誰にとっても人ごとではない私達の言葉について見てまいりましょう。ヤコブはこう書きました。

③馬を御するために、その口にくつわをはめるなら、その全身を引きまわすことができる。④また船を見るがよい。船体が非常に大きく、また激しい風に吹きまくられても、ごく小さなかじ一つで、操縦者の思いのままに運転される。⑤それと同じく、舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する。見よ、ごく小さな火でも、非常に大きな森を燃やすではないか。 ⑥舌は火である。不義の世界である。舌は、わたしたちの器官の一つとしてそなえられたものであるが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる。

体において私達の口は決して大きなものではありません。しかし、この小さな口から発せられる言葉の影響はとてつもなく大きいものです。まさしくヤコブが言うように「言葉を制する人は自分を制することができる」というのは至言(しげん)でしょう。

韓国には「行く言葉がきれいでこそ、来る言葉がきれい」ということわざがあります。自分が話した言葉がきれいなら、きれいな言葉が返ってくる。しかし、その言葉が荒々しかったら、荒々しい言葉が返ってくる。これが人というものでしょう。言葉によって受ける恩恵は大きく、言葉によって受ける損害はとてつもなく大きいのです。自分がまき散らしていることが、どこかに当たり、それが自分にはねかえってくるからです。その影響を受けるのは誰彼ではなくで、言葉を発している本人、すなわち私達自身なのです。

体は心に反応するものです。腰痛の25%の原因は身体的なものだそうですが、残りの75%は精神的なものだとこの間、お医者さんが言っていました。それでは私達の心が一番、影響を受けるものは何ですか。私達の言葉です。心は言葉に反応します。人の話は耳をふさげば聞かずにすみますが、自分が話す言葉を私達は生まれてからこの方、聞き続けています。いつも私達は自分の言葉を聞いているのです。それは生まれからこの方続いており、その言葉の影響は莫大です。

皆さん、もし私達がいわゆるカースと呼ばれる言葉をいつも発しているのなら、私達自身はいつでもそれを聞いています。カースはたいてい短い一言の言葉です。腹が立つことも、悔しいことも、すべてその一言を口に出すことによって表現しているのです。否、それは表現というよりも吠えているようなもので、全然関係のないイエス・キリストの名前まで持ち出してきて、あたかもこのことの責任はイエス・キリストにあるというような叫びです。自分が腹立つこと、悔しいことをしっかりと言葉で表現することなく、説明することなく、何でもかんでも決まり文句のように吠えているのですから、それはやがて自分の心をむしばみ、生き方そのものが短絡的、感情的、突発的なものとなることでしょう。そこに私達は何ら、肯定的なもの、建徳的なものを見出すことはできません。

私達の人生を決めることたやすいことかもしれません。小さい頃から「お前は何もできない」と聞かされ続けた子供はやがて、それが自分の口癖になり、その言葉を聞いている自分は本当に何もできない人生を送ることになるでしょう。自分の言葉が自分の可能性の扉に鍵をかけてしまったからです。その扉を再度開くことはとても大変なことです。これらのことを想います時にヤコブが「口を制することができるのなら、私達は全身をも制御することができる完全な人間なのだ」と言ったのも理解できます。

言葉についてはイエス・キリストもその本質について度々、語られました「口にはいってくるものは、みな腹の中にはいり、そして、外に出て行くことを知らないのか。しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである」(マタイ15章17節)。

私達はいつも様々なものを内に取り入れています。特にこの情報社会、黙っていてもあらゆるものが入ってきます。そして、それらが私達の心に入ってきたその時点では、まだそれらはまだ何もしていません。しかし、それらに私達の心が反応しますと私達は何を言い出すか分かりません。

イエス・キリストは言われました。33木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木はその実でわかるからである34まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである35善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す(マタイ12章33節-35節)。

ここには興味深い事実が書かれています。すなわち「心からあふれることを口が語る」というのです。そうです、言葉の出所は心なのです。「あふれ出る」ということから言葉を水にたとえますのなら、心は私達の水源です。時に人は何度も言葉を押しとどめることがあります。しかし、ある時、それが溢れんばかりに爆発してしまうことがあります。まさしく、それは心の中にあり、湧き出ていた水がいよいよ溢れてしまったということでしょう。

ヤコブはこれらのことをこのように言うのです。⑨わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている。⑩同じ口から、さんびとのろいとが出て来る。わたしの兄弟たちよ。このような事は、あるべきでない。⑪泉が、甘い水と苦い水とを、同じ穴からふき出すことがあろうか。⑫わたしの兄弟たちよ。いちじくの木がオリブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができようか。塩水も、甘い水を出すことはできない。

なぜ、同じ出所の心から賛美と呪いが出て来るのか、こういうことがあってはならないではないかと言うのです。心に手を当てれば誰にも心辺りはありますでしょう。今朝、私達は主に賛美を捧げました。その同じ口が今晩、何を言っているのか。同じ出所から主への賛美と呪いが出て来る。この言葉を制するものが自分の人生を制する。そうであるなら、どうしたらいいのでしょう。応えはシンプルです。出所、すなわち私達の源流である心に目を留めるのです。

37祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい38わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」(ヨハネ7章37節-38節)

イエス様は渇く者はわたしの元に来なさいと言われました。そして、そうするのなら聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出ると言われました。「聖書に書いてあるとおりに」と語られました。では、聖書のどこに記されているのでしょうか。それは旧約聖書、預言者エゼキエルの預言です(47:1-12)。エゼキエルはイエス様より約600年前を生きた預言者です。

「この水は東の境に流れて行き、アラバに落ち下り、その水が、よどんだ海にはいると、それは清くなる。9おおよそこの川の流れる所では、もろもろの動く生き物が皆生き、また、はなはだ多くの魚がいる。これはその水がはいると、海の水を清くするためである。この川の流れる所では、すべてのものが生きている」

(エゼキエル47章8節、9節)

よどんだ海とは何か。これは死海を指します。死海は塩分濃度が高くて、その名の通り死の海で魚は住んでいないとされています。しかし、そこに真水が流れ込むのなら、そこは魚の生きるところとなるというのです。しかも、その魚の数はおびただしいのです。この川の流れ入るところでは、すべてのものが生きているというのです。

イエス様は私達の水源からもこのような命の水が出るようになるというのです。口を開けば愚痴り、口を開けば誰かを傷つけていたような私達の口から人を生かす言葉が生まれるというのです。このことを拒む人はいないでしょう。誰でもそうなりたいと願うはずです。しかし、これまで自分の舌を制することができずにきたのです。さぁ、どうしたらいいのでしょうか。どうしたら舌を制することができるのでしょうか。先にお話しましたように、私達の言葉の出所となる心を制することです。イエス様が言われたように、私達の心から生ける水が言葉となって流れ出るようにすることです。しかし、それはどのように可能なのでしょうか。

先のヨハネ7章38節の「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよいわたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」というイエス様の言葉のすぐ後に、ヨハネは補足の言葉としてこのようなことを書き記しました。

これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである』(ヨハネ7章39節)。

私達の言葉の出所を聖霊の支配のもとに置くこと、その時に初めて私達は言葉を制することができるのです。あれやこれやと取り繕うことはできるかもしれませんが、それはやがて破れ、ボロが出てきます。しかし、心の泉を聖霊に委ねるのです。たとえ私達の言葉が向かう先が死の海であっても、私達の泉から話される言葉が聖霊の支配によって生み出されるものであるのなら、そこには新しい命が生まれ、その言葉を聞く者達が生きることができるというのです。

福音書に記録されているイエス様の弟子達の言葉と使徒行伝、パウロ書簡、ペテロやヨハネの手紙に記録されている聖霊を受けた後の弟子達の間には大きな違いがあります。彼らは変わりました。激変しました。その変化が最も顕著にあらわれたのは彼らの言葉です。聖霊は実に彼らの語る言葉を変えました。彼らがそれまでとは異なる言葉を語りだした時、彼らの人格が変わりました。言うまでもない、彼らの人格が変わりますと、彼らの人生は変わったのです。

主にある兄弟姉妹、私達は何をもっているかとか、どんなステイタスであるか、そのことが私達の人生を変えると思います。しかし、どうやらそうではなさそうです。もっと身近なところに私達の生き方を変えるものがあります。それは聖霊によって支配された私達の心であり、その心から湧いてくる私達の言葉です。この言葉は死の海を命溢れる場所に変え得る力のあるものなのです。驚くなかれ、私達は今、既にこの水源をもちあわせ、そこからあふれ出る言葉を持ち合わせています。すなわち、私達の人生は今日から変わりうるものなのです。どうか朝に夕に私達の言葉を聖霊の支配に委ねることができますように。まさしくダビデの祈りが私達の日ごとの祈りとなりますように。

『わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように』(詩篇19章14節)。3主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください(詩篇141篇3節)。

James: Those who tame the tongue will also control the life
Aug 18, 2013

Today, we are going to see the words from the letter of James. He was the brother of Jesus and he was the  leader of Jerusalem Church. When James wrote this letter, many of the believers were scattered to different places, wealthy people looked down poor people and treated people by their appearance, and harsh words was using in the church. As James heard and actually saw these situations, he repeatedly emphasized the importance of faithful acts. So we are going to focus the faithful act in our life , especially we will focus our tongue this morning.

These verses is long, so for English speaking brothers and sisters, please read on the screen along with Japanese. The verses is taking from James 3:1-12.

The author of Proverbs, King Solomon wrote; Even fools are thought wise if they keep silent, and discerning if they hold their tongues.

Solomon said if we are quiet, people think we are wise. His proverb imply we seems wise when we are quiet, but once we start talking, our foolishness will reveal. We might think that will not apply anyone, but James said “We all stumble in many ways” and he also said “All kinds of animals, birds, reptiles and sea creatures are being tamed and have been tamed by mankind, but no human being can tame the tongue.

Surely we tamed all animals, reclaimed the dense forest and build the city in desert. But even though, we won various bacteria, build a road in a dense forest and build an airport in the middle of sea, we cannot tame our tongues. Do you agree this words of James?

We can see many teaching in the book of Proverbs, but the most quoted teaching is about our tongues. What is this imply?

The father of Solomon, King David also said; Set a guard over my mouth, Lord; keep watch over the door of my lips.

The most greatest prophesy, Isaiah awed the presence of God’s Holiness in the temple, he cried “I am ruined! For I am a man of unclean lips, and I live among a people of unclean lips, and my eyes have seen the King, the Lord Almighty.”   When God presence shines upon his heart, and reveal his sins, he realized about his unclean lips. What is this imply?

We are not gagged on our mouth, we can speak anytime and anywhere. When we publish the book, we read the transcripts many times, and edited. If there are unsuitable and wrong words, we correct and then publish. I heard our speaking words in a year is about the volume of 132 books. The one book is 400 pages. These words are not edited and corrected, just speak out from our mouth. The bullet hit the others  and some time, the worst scenario, the words lead one dead.

 We are all related with these words.  James wrote; When we put bits into the mouths of horses to make them obey us, we can turn the whole animal.Or take ships as an example. Although they are so large and are driven by strong winds, they are steered by a very small rudder wherever the pilot wants to go. Likewise, the tongue is a small part of the body,

but it makes great boasts. Consider what a great forest is set on fire by a small spark.The tongue also is a fire, a world of evil among the parts of the body. It corrupts the whole body, sets the whole course of one’s life on fire, and is itself set on fire by hell.

Our tongue is not big in our body, but the influence we create from the tongue is enormously big. It is true like Jacob said ” if we can tame our tongue, we also able to keep our whole body in check”.

There is a Proverb in Korea “If you talk clean words, you will be talked clean words” If your word is harsh, they will talk to you in harsh way. We are blessed by words and also we are disgraced by words. Whatever we scatter, the words will return to us.

Our body is always influenced by our heart and mind. Doctor explains 25% of our backache comes from our physical reason, but 75% comes from our stress. If it is true, what our mind is most influence? That is our tongue. Our mind is influenced by our words. We can avoid to hear other’s words but we hear our own voice since we were born. Yes, always we have been listened so many years. That is the years of our life and the influence is enormous!

Brothers and sisters, if we shout the curse every day, we listen that every day. The curse is just one short word. We express our anger and ugly mood in that single curse, and we bring even the name of Jesus Christ, and try to put Jesus in the fault position for our failure. These curse really give damage our heart, and our way of living will be more emotional and hasty. We cannot find any positive benefit in that curse.

It may be an easy to decide our life. If we are told “You cannot do anything” since our childhood, that will be our habit of saying, and we cannot do anything in our real life.  We lock our door of possibility. It is very difficult to open the door again. We understand what James saying; if we take our tongue, we can keep our whole body in check.

Jesus once said about the essence of our words in Matthew; 17 “Don’t you see that whatever enters the mouth goes into the stomach and then out of the body? 18 But the things that come out of a person’s mouth come from the heart, and these defile them. ”

We always take various things into our heart. Especially, the income is accelerating in our highly informed society. When the information come into our heart, it is not defile anything yet, but once it related our mind, who knows what we will say.

33 “Make a tree good and its fruit will be good, or make a tree bad and its fruit will be bad, for a tree is recognized by its fruit. 34 You brood of vipers, how can you who are evil say anything good? For the mouth speaks what the heart is full of. 35 A good man brings good things out of the good stored up in him,

This is interesting.  It is written “For the mouth speaks what the heart is full of.” Yes, our words come from our heart. It is overflow from our heart. Our words is like water and our heart is like headwater. Sometime, we keep the words in our heart but one day, the words is overflow from our heart. That is not produce that time, the words was already in our heart and overflowed.

James said; With the tongue we praise our Lord and Father, and with it we curse human beings, who have been made in God’s likeness. 10 Out of the same mouth come praise and cursing. My brothers and sisters, this should not be. 11 Can both fresh water and salt water flow from the same spring? 12 My brothers and sisters, can a fig tree bear olives, or a grapevine bear figs? Neither can a salt spring produce fresh water.

Why praise and curse comes from same location? It should not be happened, James said. We know what he is saying. We praise the Lord this morning but who knows what we will say tonight at home. We praise and curse. If we control our words, we will control our life. If this is true, what can we do for that? The answer is simple. We will focus our source of the words.

37 On the last and greatest day of the festival, Jesus stood and said in a loud voice, “Let anyone who is thirsty come to me and drink. 38 Whoever believes in me, as Scripture has said, rivers of living water will flow from within them.” (John 7:37-38).

Jesus once told ‟Anyone who is thirsty come to me” and if we come to Jesus, as Scripture has said, rivers of living water will flow from within us. Jesus said “as Scripture has said”. What verses did he talk about in the Bible? That is the book of Ezekiel. Ezekiel was the prophecy. He lived about 600 years ago from the age of Jesus. He said;

“This water flows toward the eastern region and goes down into the Arabah, where it enters the Dead Sea. When it empties into the sea, the salty water there becomes fresh. Swarms of living creatures will live wherever the river flows. There will be large numbers of fish, because this water flows there and makes the salt water fresh; so where the river flows everything will live.

The water flows into the dead sea. The dead sea reject any fish because of high density of salt, but  swarms of living creatures will live wherever the river flows. There will be large numbers of fish, and where the river flows everything will live.

Jesus said we can flow the life of water from our water head. Once we open our mouth, we complain and heart someone, but Jesus told us you can change. No one reject his offer but we ask ourselves how? How can we tame our tongue. As we are told, we have to control the source of our words, which is our heart. As Jesus promised to us, let our heart flow the life of water, but how is it possible?

As we looked at John 3:38; “Let anyone who is thirsty come to me and drink. 38 Whoever believes in me, as Scripture has said, rivers of living water will flow from within them.” John immediately followed his comment about Jesus words, John said ”

39 By this he meant the Spirit, whom those who believed in him were later to receive. Up to that time the Spirit had not been given, since Jesus had not yet been glorified (John 7:39).

We will be able to tame our toung when we set our words under the control of Holy Spirit. We may manage our words for a while, but our failure will be exposed, but we rely our spring on to Holy Spirit. Even though our words will be address to the dead sea, if the words is under the control of Holy Spirit, the words will produce new life and make live those who hear the words.

We know the difference between the disciples in Gospel and the disciple in the book of Acts, Paul’s letter and the letter of John and Peter. They had changed! They changed drastically. What most they changed was their words. Holy Spirit changed their words. When they start to speak different words, their personality was changed, and Neverthless say, when their personality changed, their life was changed.

Brothers and sisters, we think our life will be changed and blessed by what we have and what status we are in, but seems like it is not true. The secret is near to us which is our heart filled by Holy Spirit and the words overflow from our heart. The words change dead sea to the full of lives. Amazingly, we already have this source and the words overflow from the source. Therefore our life could change from today, from right now. May we all relay our heart on the reign of Holy Spirit. May our daily prayer will be the prayer of David.

Psalm 19:14
May these words of my mouth and this meditation of my heart  be pleasing in your sight, Lord, my Rock and my Redeemer.

Psalm141:3
Set a guard over my mouth, Lord;   keep watch over the door of my lips.

Translated by Makoto Okura

本日のおもちかえり
2013年8月18日

1)ヤコブ3章1節-12節を読みましょう。「もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である」(2節)、「舌を制しうる人は、ひとりもいない。それは、制しにくい悪であって、死の毒に満ちている」(8節)の言葉にあなたは同意しますか。ダビデや(詩篇141篇3節)イザヤの(イザヤ6章5節)の叫びは何を意味していますか。

 

2)私達にとって益となる言葉にはどんなものがありますか。逆に私達にとって最悪の言葉にはどんなものがありますか。あなたはこれらのことについて体験談をお持ちですか。言葉が有するこの二つの力について考えてみましょう。

 

3)あなたが誰かに語る辛辣な言葉はそのままあなたに返ってくると思いますか。あなたがいつも聞いている言葉はあなたに影響を与えますか。あなたが口にする言葉はどのようにあなた自身に影響を与えますか。

 

4)イエス様が言われた『口にはいってくるものは、みな腹の中にはいり、そして、外に出て行くことを知らないのか。しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである』(マタイ15章17節)という言葉からあなたはどんなことを教えられますか。『おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである』(マタイ12章34節)ということにあなたは同意しますか。

5)言葉が出て来るその出所はどこですか。どうしたら私達は己が口から出る言葉を制することができますか。「源流を抑える」ということはどういう意味でしょうか。

 

6)ヨハネ7章37節-39節から、私達はどのように心のうちから命の水を流すことができるということが分かりますか。

 

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