「Being more than Doing」と言われることがあります。「あなたが何をするかよりも、あなたがどうあるべきかの方が大切だ」ということです。
幼少時代、栃木県の矢板というところに住んでいた私は年末になると都内にある実家に行き、そこで年を越していました。田舎の小さな駅で汽車に乗り、まさしく上京という言葉がぴったりの状況です(スルーすべき、おやじギャグ)。東京につくといつもとある地下街を通るのですが、そこにマリモを店頭に並べている店があって、一つ500円の値がついているのです。その緑の球体が魅力的で欲しかったのですが、当時500円は大金で、毎年しばらく眺めて実家に向かいました。
最近、ふとしたことからマリモが通信販売で売っていることを知り、調べてみましたところマレーシアから送ってくれるということが分かりました。小さなマリモが五つ、送料込みで10ドル。幼い頃の思い出がよみがえってきました。そして、実に35年ぶりに当時の夢がかないました。今、私の前には五つのマリモが静かに水に沈んでいます。5分、眺めます。10分、眺めます。彼らは動きません。全く動きません。あらためて思ったのです。なぜ、わたしはこのマリモをマレーシアから取り寄せたのかと・・・(笑)。「Being」について深い黙想をしたい方はマリモがおすすめです。全く動かない、ただそこにあるマリモが大切なことを教えてくれます。
マック
追伸:もちろん、このマリモ、手はかかりません、な~んにも。
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500円て大金だったよな。
今でももちろん、はした金なんかではないのだけど、今は何となく500円よりも1ドルの方が僅かに重い気がする。
何故ならば札だからね。
なんといっても昔は岩倉具視だったからね。最近、当時の聖徳太子を見たけれど、デザインといい、大きさも少し大きく、威厳が違ったね(笑)。