Clergy Parking

どこでも聞く会話・・・

「あのビタミンが体にいいらしい。この栄養剤は疲れを癒してくれる。この入浴剤は体を温め、この靴は足の疲れを減らし、このサングラスは紫外線をカットするらしい。この食べ物は、鉄分を含んでいて貧血にいいらしい、この音楽は胎内の子供の成長をうながすらしい。ダンベル体操というものがあるらしい、スイミングが一番、体にいいらしい、昨年からウォ-キングをしました。

私たちの関心は常に私たちの体に向けられます。どうしてでしょうか。その理由は簡単!言うまでもなく、いつまでも健康でありたいからです。足腰弱ることなく、内臓器官も正常に、元気に過ごしていきたいからです。そして、かなり飛躍しますが、別の言い方をすれば、一日でも長く生きていたいからです。苦情をいただくことを承知の上でもっと別の言い方をすると、一日でも長く、死というものから目をそらしていたいからです。誰も思いもしないでしょう、考えもしないでしょう、しかし、私たちはこのつかみどろこのない死を、その先に何が待ち構えているのか何も知り得ない漠然とした死を一日でも長く順延させるためにセッセッと健康管理をしているのではないでしょうか。

アメリカの多くの病院には入り口のすぐ近くにClergyというパーキングがあります。それは、聖職者(この言葉は世俗牧師には似合わないね)用のパーキングなのです。その最期の時に一秒でも早く病室に飛び込むことができるように。

私はその最期の時、牧師として臥している方に“諦め”を語りません。イエス・キリストにある“希望”を語ります。なぜなら、それが聖書の約束だからです。

なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着る時、聖書に書いてある言葉が成就するのである「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。 新約聖書 コリント人への第一の手紙15章53節ー55節

「己が死を解決して、はじめて本当に生きることができる」

誰の言葉だったでしょうか・・・

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Clergy Parking」への2件のフィードバック

  1. 献先生
    ウン十年前まで、私たちは伊豆の大島ではしゃいでいたのに、今はそれぞれ南半球と北半球にいるのですね。いつかクロコダイル・ダンディに会いに行きますので紹介してください。

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