2008年暮れ、経済危機のただ中で

今から約2500年前、聖書、ハガイ書1章2節-11節に書かれた言葉。

P5310033 「万軍の主はこう言われる、この民は、主の家を再び建てる時は、まだこないと言っている」。 そこで、主の言葉はまた預言者ハガイに臨んだ、「主の家はこのように荒れはてているのに、あなたがたは、みずから板で張った家に住んでいる時であろうか。それで今、万軍の主はこう言われる、あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい(あなたがたの現状をよく考えよ:新改訳)。あなたがたは多く蒔いても、取入れは少なく、食べても、飽きることはない。飲んでも、満たされない。着ても、暖まらない。賃銀を得ても、これを破れた袋に入れているようなものである。

万軍の主はこう言われる、あなたがたは、自分のなすべきことを考えるがよい(あなたがたの現状をよく考えよ:新改訳)。 山に登り、木を持ってきて主の家を建てよ。そうすればわたしはこれを喜び、かつ栄光のうちに現れると主は言われる。あなたがたは多くを望んだが、見よ、それは少なかった。あなたがたが家に持ってきた時、わたしはそれを吹き払った。これは何ゆえであるかと、万軍の主は言われる。これはわたしの家が荒れはてているのに、あなたがたは、おのおの自分の家の事だけに、忙しくしている。 それゆえ、あなたがたの上の天は露をさし止め、地はその産物をさし止めた。また、わたしは地にも、山にも、穀物にも、新しい酒にも、油にも、地に生じるものにも、人間にも、家畜にも、手で作るすべての作物にも、ひでりを呼び寄せた」。

2008年、年の暮れ訳

Wallstreet_2あなたたちは自分のことしか考えていない。見てみぃさい、今の自分の置かれている状況を。あなたは多くのことに投資をしたのに、な~んも益はなく、少なくなったどころか、全て失われてしまったやんか。バブルの頃を思い出してごらん、あんだけ食べて、あんだけ飲んだのに、心は満たされず、心が暖まることなんかなかったやんか。だから、今なすべきことをよくよく考えてごらん。分かるだろう、まず私を第一として人生設計をたててごらん。私は天の扉を開くから。指し止めは銀行だけの話じゃないんだから。

Sol Deo Gloria                                                                                                                              マック

2008年暮れ、経済危機のただ中で

ハガイ1章2節-11節

2008年11月30日

皆さん、ご存知のように歴史的な経済危機の中に私達はいます。米国経済の象徴であった自動車産業に対しても、公的援助をするとか、しないとか、不動と思われた大企業が破綻してしまったりとおよそ想像できなかったことが私達の目の前に起きています。かつて金融の巨匠と呼ばれたグリーンスパン氏は今の状況を「100年に一度の危機」だといいました。本人も言っておりますが、オバマ新政権が第一に取り組む課題もこの経済問題となることでしょう。

おそらくここにいらっしゃるほとんどの方々は、昨今の経済状況によって何かしらの影響を受けていることでしょう。物価の上昇、雇用の問題、引退後の生活資金の問題。どれを考えても、決して、喜ばしい状況ではありません。このような時に私達は信仰者として、何を考え、何を祈り、どう生活したらいいのでしょうか。

今朝はそのような今日的な世界情勢を踏まえつつ旧約聖書のハガイ書1章2節から11節を見ながら、聖書の言葉が私達に語り書けることに耳を傾けていきたく願っています。

まずハガイ書という書ですが、その書名が示すようにそれはハガイという預言者によって、今から2500年も昔、すなわち紀元前520年頃に書かれたものです。少しユダヤ民族の歴史背景を説明しますと、ユダヤ人が暮らしていた南ユダ王国がバビロン帝国によって滅ぼされ、紀元586年、ユダヤ人達はバビロンに捕囚とされて連れていかれたのです。俗にいうところのバビロン捕囚です。しかし、後、約50年後の紀元539年、ペルシアがそのバビロンを支配すると同時に、ペルシアのクロス王はバビロンに捕囚となっていたユダヤ人を解放し、故国への帰還命令を出しました。

それに応えたおよそ4万2000人のユダヤ人が祖国エルサレムに帰国したのです。そして、彼らはすぐに自分達のより所となっていた神殿の再建に取りかかったのです。しかし、近隣の様々な人々の妨害に会い、その工事は途中で挫折、中断してしまったのです。

そして、その挫折から20年近くが経ち、廃墟となっているその神殿を前にして預言者ハガイは神からの言葉を語ったのです。すなわち「あなたたちは、信仰に基づく故国再建という希望を忘れ、私達の建国の中心となるはずの神殿建設に対して無関心、無頓着になり、自分のことだけしか考えていない。そんなことでいいのか」とハガイは同胞の民達に迫ったということが、今日の聖書箇所には書かれているのです。読んでみましょう。

 「万軍の主はこう言われる、この民は、主の家を再び建てる時は、まだこないと言っている」。 ③そこで、主の言葉はまた預言者ハガイに臨んだ、④「主の家はこのように荒れはてているのに、あなたがたは、みずから板で張った家に住んでいる時であろうか。⑤それで今、万軍の主はこう言われる、あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい(あなたがたの現状をよく考えよ:新改訳)。⑥あなたがたは多く蒔いても、取入れは少なく、食べても、飽きることはない。飲んでも、満たされない。着ても、暖まらない。賃銀を得ても、これを破れた袋に入れているようなものである。

⑦万軍の主はこう言われる、あなたがたは、自分のなすべきことを考えるがよい(あなたがたの現状をよく考えよ:新改訳)。 山に登り、木を持ってきて主の家を建てよ。そうすればわたしはこれを喜び、かつ栄光のうちに現れると主は言われる。⑨あなたがたは多くを望んだが、見よ、それは少なかった。あなたがたが家に持ってきた時、わたしはそれを吹き払った。これは何ゆえであるかと、万軍の主は言われる。これはわたしの家が荒れはてているのに、あなたがたは、おのおの自分の家の事だけに、忙しくしている。 ⑩それゆえ、あなたがたの上の天は露をさし止め、地はその産物をさし止めた。⑪また、わたしは地にも、山にも、穀物にも、新しい酒にも、油にも、地に生じるものにも、人間にも、家畜にも、手で作るすべての作物にも、ひでりを呼び寄せた」。 

ハガイは、このような生き方をしていたユダヤ人達に向かい、彼らの間に神が今、何をなさっているかということを記しているのです。すなわち⑥あなたがたは多く蒔いても、取入れは少なく、食べても、飽きることはない。飲んでも、満たされない。着ても、暖まらない。賃銀を得ても、これを破れた袋に入れているようなものである」。

また⑩それゆえ、あなたがたの上の天は露をさし止め、地はその産物をさし止めた。⑪また、わたしは地にも、山にも、穀物にも、新しい酒にも、油にも、地に生じるものにも、人間にも、家畜にも、手で作るすべての作物にも、ひでりを呼び寄せた」とも書かれているのです。 

このようなことを読みますと、何か今から2500年以上も前に語られた言葉とは思えないのですが、いかがでしょうか。この御言葉が、そっくりそのままこの2008年の暮れに生きる私達の状況にしっくりと当てはまるということが聖書のすごいところです。

今日、多くの方々が費やしたもの、それが株であれ、不動産であれ、コツコツと蒔いていたものから、少しどころか、全く刈り取りができない、まさしく自分は得体の知れない空の袋に(それは今日的に言うなら金融におけるところの投資ということになるでしょうか)貯めこんでいたと私達は気がついているのです。そして、そんな私達はかつてバブルと言われるような経済の過剰な繁栄をも経験してきましたが、その時にも食べても飽きることなく、飲んでも満たされない、着ても暖まらないというようなところも通って今があるのです。

今日は、この聖書の箇所から私達は、そのような経済的な変遷を経験し、そして今はまたこれまでになかったような変化の只中にいる私達がこれからどのように生きていけばいいのかということを考えていきたいと思います。まず、私達はこのハガイ書1章の5節と7節の言葉に注目したいと思います。こう書かれています。

すなわち、この短い言葉の中に神様は二度、5節と7節に同じ言葉を私達に投げかけているのです。それは「⑤⑦それで今、万軍の主はこう言われる、あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい」という言葉であり、この箇所を新改訳聖書は「あなたがたの現状をよく考えよ」と書いています。英語の聖書(NIV)は「Give careful thought to your ways.と書いています。

皆さん、私達の現状とは何でしょうか。私達の歩いている道とは何でしょうか。私達の現状やその道とはいつも同じなのでしょうか。いいえ、伝道の書を書いたソロモンは言いました。「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。・・・泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時がある」(伝道の書3章1節、4節)。

私達の人生は泣く時があり、笑う時があるのです。悲しみ沈む時も、踊り出す時もあるのです。ついこの間まで、私達は今や誰でもマイホームが買えるのだ、私達は素晴らしい世界に生きているのだと心躍っていたのです。しかし、50年後ではなく、それからわずか数年後に、今度はそれらの家々がその喜び踊った人達の手から放れていっているのです。そして、私以上に皆さんはよく知っていることでしょう。この米国がした大きなくしゃみが、アジア、ヨーロッパ、世界各地に感染して、今や世界中が深刻な肺炎状態にあるのです。

先ほど言いましたような、蒔いても刈り取りがない、まさしく経済の枯渇状態が今、起きているのです。そして、それはハガイの時代もそうだったのだとこの書は書いているのです。ハガイはそのような危機的な状況におかれている同国の民に向かい一言こう言いました。

あなたがたの現状をよく考えよ」

先に挙げた伝道の書の著者ソロモンもこう書いています「順境の日には楽しめ。逆境の日には考えよ」(伝道の書7章14節)。

ソロモンは言うのです。物事が全てうまくいっているのであるならば、その時というものを楽しみなさい。しかし、もし物事がうまくいかない時がきたら、その時は考えよというのです。それでは、このような時に何を考えるのか。ハガイは3節においてこう言いました「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか」。また8節においてこういいました「 山に登り、木を持ってきて主の家を建てよ。そうすればわたしはこれを喜び、かつ栄光のうちに現れると主は言われる」。

この御言葉は何を行っているのか。今、マイホームを買おうと思っている方がいましたら、それをやめて、教会を建てるために捧げなさいと言っているのでしょうか。今、必死に残業をして働いている人がいたら、その残業の時間を教会の奉仕に充てなさいと言っているのでしょうか。私は牧師として、この言葉を振りかざして「皆さん、明日から全てを犠牲にして、主のためにもっと財と労を捧げましょう」と言うべきなのでしょうか。

皆さん、今朝、私たちはこのような視点でこのことを見たいのです。すなわち、数週間前にお話しした「私達がとるべき優先順位」ということに立ち返っていくということです。すなわち、順境の時に楽しんでいた時には、気づかずにいた最も大切なことに、この経済的逆境とも思えるこの時にもう一度、このみ言葉は私達を立ち返らせるのです。

皆さん、そのようなことを思います時に、人生の深さというものの前に私達は立たされます。すなわち、順境だけが良いとは言えないということです。逆境と呼ばれる、そのような時にこそ、私達は人生に最も大切なものを見出すことができるからです。

このみ言葉はこのような時、あなたの優先順位はどうなのかと私達に語りかけていないでしょうか。もう一度、考えてごらんと。あなたはこれまで神を第一として生活してきたか。どうなのかということです。

皆さん、私は預言者ではありませんし、何かカルトのリーダーではありません。ですから、突拍子もないことを言って皆さんも心を混乱する気持ちは全くありません。ただ、この聖書の言葉の前に立つ時に、そして、この世界情勢に生きる者としてもう一度我が身を省みて主がいうように、自分の現状をよく考えてみる時にもう一度、主への再献身をうながされるような気持ちとなるのです。

すなわち、このような時だからこそ、私達はもう一度「神を第一とする生活」ということを確立する大切な点検と準備の時に私達は立っているのです。そして、そのことはあるとても大切な事柄につながっていくことがこのハガイ書には書かれているのです。

すなわち、神様はイスラエルの民達が神のことを思わず、ただ自分達だけのことを考えていた故に10節においてこう言われているのです「それゆえ、あなたがたの上の天は露をさし止め、地はその産物をさし止めた」。あなた方に注がれるはずの無尽蔵の恵みはここにおいて差し止められているというのです。

とても興味深い言葉です。この言葉は自分の回りの状況を見回していた私達の視点を上に向けさせるのです。銀行だけが「差し止め」をするのではなくて、神様も差し止めなさるというのです。すなわち、神様は私達を潤す天来の露を差し止めているというのです。

さらにこの「天における差し止め」に関わることとして、反対のことがマラキ3章10節にも書かれています。すなわち「わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもって、わたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる」。

ここで神様はご自身が与えられた祝福に応えなさいと言われています。これは明らかに月定献金のことを言っているでしょう。でも、神様にしてみたら人間から捧げられるものなどというのは、木の葉のようなものに違いありません。ですから、神様はそこでその量とか額を言っているのではないのです。

皆さん、当時のこの10分の一というのは何をもってして捧げられていたかご存知ですか。それは、主に穀物でした。それを「倉に携え」という言葉がそのことを示しています。そして、それをおさめる人達にとっての10分の一というのは、穀物の中のいわゆる、一番、みすぼらしい今日でいうならば、虫に食われ形が悪く、スーパーの食品棚に置かれているものではなくて、全ての中で最もよいものを神に捧げるということだったのです。収穫があって、良いところは全て自分達で分配して、余ったものを、幾日かたってから神に捧げるということではなく、収穫の一番最初に神に最もよいものを彼らは捧げたのです。この10分の一というのは、彼らが自分の最優先をどこにおいているのかということを表していたのです。

すなわち神様が、私達に求めているのは、まずあなたは私を第一としているのか、どうなのかということです。そして、もし私達がそのことをするならば、私は差し止めている天の祝福を降り注ぐよというのです。マラキ書にいたっては、あなたが私を第一にしているということにおいて、私を試してみなさいといわれるのです。このマラキに書かれている主の言葉はとても挑発的なのです。申命記6章16節には「あなたがたの神、主を試みてはならない」と書かれているのに、この箇所においては、神自身が私達に「私を試みなさい」といわれる。そして、神はその試みに確かに応えて、あふれるばかりの祝福と恵みを、私達に注がれるから、あなたはそのことを見極めなさいと言われるのです。

皆さん、ハガイ書に戻って6節には「あなたがたは多く蒔いても、取入れは少なく」と書かれています。さらに9節には「あなたがたは多くを望んだが、見よ、それは少なかった」と書かれています。

作物を育てるということは、人間が変えることのできない季節の営みの中でなされます。すなわち、そこには人間の側における綿密な計画が必要となります。いつ土を耕し、種を蒔き、いつ肥料をやり、いつ収穫するかということです。彼らはカレンダーなど持っていなかったでしょうが、最も多く収穫が得られるようにと順序立てて、それらの作業を進めたに違いありません。しかし、彼らは多く蒔いても、取り入れは少なかったというのです。

今、日本ではちょっとした手帳ブームだそうです。最近の手帳はページをめくると一月ごとのカレンダーが記されているというだけではなく、一週間の目標、一月の計画、一年の予定と目標というものが事細かに書かれているものがよく売れているそうです。そして、その手帳の中には必ず「すべき欄」すなわち英語でいいます「To Do リスト」なるものがあり、一日にすべきことを一から十まで書き込む欄などもついているというのです。忙しい人になると、それが全部埋まっていないと、すなわち自分は忙しい人間なのだということを、そのページで確認しなければ落ち着かないという人もいたりするそうです。

私達はその中に自分の業績が最高になるような計画を緻密にたてます。でも、その計画の中に神様はいないのです。すなわち、一日の計画、一週間、一月、一年、その中で埋め尽くされることは全て自分達のことだけであって、主なる神はどこにもないのです。そんな私達に今朝、主はもう一度語りかけるのです。

あなたがたは、自分のなすべきことを考えるがよい(あなたがたの現状をよく考えよ:新改訳)。

皆さん、今もあのマタイによる福音書の言葉は有効なのです。「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、全て添えて与えられるであろう。だから、明日のことを思いわずらうな。明日のことは、明日自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」

儲かるという漢字を見てください。この字はどんな言葉で成り立っていますか。儲かるという字は信者という字なのです。儲かるということは信じる者が儲かるのです。儲かりまっせ。なぜですか、信じているものは、神を第一とするからです。

サンクスギヴィングの翌朝にはモールで大きなセールがなされるといいます。前日から並ぶ人も多くいるといいます。彼らはモールのドアが警備員によって開かれる瞬間を思いみて、寒さを耐え忍ぶのです。そして、そのドアをくぐった瞬間、私達は催眠術にかかるのです。どんな催眠術ですが、それは数日後に分ります。セールの数日後、「なんで私はこんなものを買ってしまったのだろう」と頭を抱えた方いませんか?

そんな努力もいいかもしれません、しかし、やはり神を第一としたほうがよほどいいのです。私達が神を第一とするならば、モールの扉は開きませんが、天の扉が開きます。こちらの方がよっぽどいいのです。小売業者の扉を期待することもいいでしょう、しかし、私達は神を第一にすることによって、それよりも天の扉が開かれることをもっと期待しようではありませんか。

なぜですか?詩篇24篇1節にあるように「地とそれに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである」からです。ピリピ4章19節に「わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう」と書かれているからです。私達が神を第一にすることによって神様は「それを喜び、かつ栄光のうちに現れる」(ハガイ一章8節)と言われるからです。

お祈りしましょう。

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