サンクスギヴィング・イブ・ナイト

明日はサンクスギヴィングディー。

今日はその前夜ということでイブ・サービスがもたれ、メッセージが語られ、互いの一年間の感謝を分かち合った。

Lothanksgiving_humor_eat_ham_turk_2明日は朝から一日かけてターキーを焼く。後ろめたさからか、やっぱり今年もこの写真を掲載して、彼らの率直な気持ちを全世界に伝えておこう。

Sol Deo Gloria                                                                                               マック

今日、サービスでお話したメッセージです。                  よかったらどうぞ!

もし、皆さんが神様から二つの願いを叶えてあげようといわれたら何を願いますか。幼い子供なら、野球のバッドとレゴが欲しいとか(本当に、そんなもので、たった二つの願いを使い切っていいのかと思うのですが)、多くの方々は健康が欲しいとか、なりたいものになりたいというように色々とあるかと思います。

箴言30章7節‐9節にはソロモンの二つの願いが書かれています。

わたしは二つのことをあなたに求めます。わたしの死なないうちに、これをかなえてください。嘘、偽りから私を遠ざけ、貧しくもなく、また富みもせず、ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。飽き足りて、あなたを知らないといい「主とは誰か」と言うことのないために、また貧しくて盗みをし、わたしの神の名を汚すことのないためです」。 7 "Two things I ask of you, O LORD; do not refuse me before I die: 8 Keep falsehood and lies far from me; give me neither poverty nor riches, but give me only my daily bread. 9 Otherwise, I may have too much and disown you and say, ‘Who is the LORD ?’ Or I may become poor and steal, and so dishonor the name of my God.

皆さん、ご存知かと思うのですが、一応、付け加えます。ソロモンは大金持ちでした。しかも、その桁は並外れたものでありました。ですから、彼に関して言えば、富と名誉について神様に願い求めることなどは、なかったのではないかと思います。それどころか、その境地に達してしまった彼にとって、また伝道の書に自らが記していますように、その境地がどんなに空しいものであるかということを知っている彼にとって、神に本当に求めるものは、ここに記している二つの願いだけだったのです。

すなわち、ソロモンは言いました「嘘、偽りから私を遠ざけてください」そして「貧しくもなく、富みもせず、ただなくてならぬ食物で私を養ってください」。

今、私達の礼拝では「シンプル・イズ・ザ・ベスト」というシリーズのもと、メッセージをお送りしています。このソロモンの願いもとてもシンプルです。私を嘘、偽りから遠ざけてください。自分が嘘、偽ることがないように、また嘘、偽りによって私が躓くことのないように。そして、貧しくて盗んだり、富みすぎて神様のことを忘れることのないようというのです。

言い方を変えますならば、嘘、偽りによって生きるのではなく、あなたの前に真実に生き、あなたを忘れることなく、あなたが与えられているものに満足して生きることができるようにということなのです。

彼は多すぎることなく、また少なすぎることもない毎日を過ごせるように祈ります。そして、このような生活のことを私達は「平凡」と呼ぶのです。しかし、多くの人は、この平凡を嫌い、その中に感謝を見出すことはありません。しかし、あの平凡ではない、およそ庶民の感覚を超えていたソロモンにとって、その平凡こそが彼が願い求める最高のものだったのです。

今日、インドのボンベイでテロ事件があったようです。市内七箇所で銃撃や爆破があり、70名ほどが犠牲となり、犯人は今もホテルに人質と共に立てこもっているというのです。

これが、今日、サンディエゴでテロ事件があったようですというニュースには決してならないとは誰が言えるでしょうか。それでなくても一月に私達は何度も交通事故を見かけますし、サンディエゴ・ユニオントリビューンの三面記事には毎日のように市内で起きたカージャックや強盗事件が書かれています。私達が今日、教会に来る時、走り去ったフリーウエィでその30秒後に、大きな人身事故が起きないとは誰も言えません。

私はその日、一日が終わり、眠りに着く前に子供達のベッドを回ります。暗闇の中で、一人一人の寝息が聞こえます。個人的に一番、感謝がわく瞬間です。

彼らが、何かを盗むほど飢えることなく、神を忘れるほどに、自分の願うことが全て叶えられたということもなく一日を過ごせたこと、誰かを騙したり、自分を偽って一日を過ごすのではなく、今晩もいつもと同じ場所に、同じように伏して眠っているという現実、このように一日を終えることができるとしたなら、他の諸々のことについて、神様がもし、私達に何かをしてくださったとするならば、それらは全て、「過分なオマケ」であるに違いないのです。

聖歌の中に「望みも消えゆくまでに」という歌があります。その歌詞は;

望みも消えゆくまでに  世の嵐に悩む時

数えてみよ主の恵み 汝が心は安きを得ん

数えよ主の恵み 数えよ主の恵み

数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵み

というのです。

一日の必要が与えられ、床に身を休めることができること、それ以上のことは当然のことではなく、それらを全て神様からの恵みのおまけとして数えるなら、私達の心には、いつもとんでもない驚きと、とてつもない感謝が溢れてくることでしょう。

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