数年前、「氷点」や「塩狩峠」で有名な故三浦綾子さんの夫である三浦光世さんと食事をする機会があり、色々と興味深い話を聞くことができた。その中で光世さんが言っていたこんな言葉を忘れることができない。

「いかなる文学も人間の罪という問題に対しては何の解決ももっていないのです」

長い間、綾子さんは精力的に作品を世に出してきた。そして、その綾子さんの傍らにはいつも光世さんの姿があった。すなわち、光世さんの生涯も常に文学と共にあったのだ。その光世さんの言葉であるがゆえに私は強いインパクトを受けたのだ。

私たちの間で起きる問題の根源は、光世さんが言った「罪」にある。様々な罪を描写する小説はある(これらはよく、べストセラーとなっている)。罪が生み出す悲惨を表現する小説もある(これらはよく、映画のテーマとなっている)。そして、そんな罪の中に光る希望に触れる小説もある(これらはよく、優良図書となっている)。

しかし、罪を解決する小説はない。なぜなら、罪とは本来、私たちには解決できないものだからだ。罪はお金によって解決できない。罪は償いによって解決はできない。罪は修練によって解決できない。

罪とは赦されること以外に解決することはできない代物なのだ。そして、その赦しも罪人が罪人に赦しを宣言することはできないのだ、すなわち私があなたの罪を全て赦すと言っても、それは戯言にすぎないのだ(腹立つ人いたら、ごめんなさいね。聖書は「義人はいない、一人もいない」って言っているのです。これは、全ての人は神の前では罪人なのだということです。あのブラッド・ピットが刑事役として出演している「セブン」で、罪人を追う彼が最後に怒りという引き金を引いたように)。

それでは、私たちに希望はないのか・・・。                        

いいや、ある!

今日はグッドフライデー。2000年前にジーザスが十字架にかかった金曜日。その十字架は私たち人間の罪を全て、ジーザスがその身に負ったことを示すもの。そのジーザスの愛を信じて「ありがとう」と受け入れる者には罪の赦しが与えられると聖書は言っている。あの分厚い聖書が伝える最も大切なメッセージはそこにあるのだ。

もう一度書こう。私たちを悩ます問題の根源は私とあなたの心にある罪からくる。その罪に赦しを宣言できるのはジーザスの十字架以外にはない。

彼は我々の咎(罪)のために傷つけられ、我々の不義のために砕かれたのだ。彼は自ら懲らしめを受けて、我々に平安を与え、その打たれた傷によって、我々はいやされたのだ。 聖書 イザヤ書53章5節

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」への1件のフィードバック

  1. 大倉先生
    今日のグッドフライデーに相応しい良い内容のプログを感謝します。多くの方が読まれますよう祈ります。   とし子

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