以前にもちょっと触れたのだけれど、私の尊敬する牧師が沖縄にいた。「いた」というのは、その師は今、神のみ側にいるということ。
師はいつも何かに感動していた。
渡嘉敷島の満点の星空や沖永良部島の海の青さまで・・・。さだまさしの「案山子」から、那覇にある「ジャッキー」のニューヨーク・ステーキまで・・・。師ほどの好奇心で世界を見つめ、それを喜んで表現する人に、私は会ったことがない。
師は沖縄を訪ねて来る人を案内するのが大好きだった。何十回も連れていっていたであろう万座毛に行く度に、連れて行ったヤマトンチュウのお客さんよりも感動して喜んでいたという。そんな心で聖書を読み、心揺さぶられた感動を語るのだから、師が稀有で偉大な説教者であったということは言うまでもない。
「感動する心」というものを最近、思い巡らしている。
師が残してくれたものに感謝して・・・・。
マック
わたしも「師」が大好きでした。
なんと表現したらよいのか言葉に窮するのですが、
「感動の心」は、的を得ていますよね。
自らの感動を人にも感動として伝えることのできた「師」というか、感動させることができた「師」。
尊敬します。イエス様も神の国を語り、業をするときに「感動」されたんですよね。そして、十字架にかかる時も。。。
昨日は、パッションがテレビで放映されていました。
やはり、感動してしまいました。。。
どんどん感動しましょう。私たちの師を目指して。オーストラリアの感動をシェアーしてくださいね。私もアメリカでの感動を書いていくつもりです。