たといそうでなくとも

「たといそうでなくとも・・・」(ダニエル書3章16節ー18節)

結局のところ、最後に信仰はここに行き着くのだろう。自分の願いや思いを神に祈る。神は確かにそれに応えてくださる(ほんとだよ)。でも、やはり全ての願いがきかれるわけではない。神は私達の祈りに全て応えるホテルのコンシェルジュじゃないから(私達の思い通りに動く存在を神と呼んじゃーいけないね)。

実はこの「たといそうでなくとも」ということをチャーチ・キャンプの日曜日の朝、礼拝前の集会で話した。つまり母の一連のことについて「たといそうでなくとも、全てを神に委ねていきたい」ということを話したのです。そして、この一言を言う事は牧師であっても、とても勇気のいることでした。

私がその集会を持っている同じ頃、日本で一つのことが判明しつつあることを昨晩、母の担当医と話して知りました。すなわち、これまで数ヶ月、母の不調をもたらしていたであろう原因が分かりつつあるということ。そして、私達はその治療のために、これからその一歩を踏み出そうとしています。

訪日中、「母さんの一番好きな聖書の言葉は?」と聞いた時に、母が答えた言葉。「テモテ第二の手紙2章13節、たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。彼は自分を偽ることができなのである」。

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私達の理解力において「たといそうでなくとも」、神は真実なお方だから委ねることができるのだ。今、私はとてつもないレッスンを受けている、と思う。ほんとにそう思う。

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たといそうでなくとも」への2件のフィードバック

  1. お母様の上に、神さまの大きな癒しの手がありますよう、心からお祈りしています。親の健康は、子供の心からの願いですね。先生もお体をお大切に。

  2. ゆーこさん
    心強いコメントをありがとうございました。皆さんに祈られているということ、これが何よりも力の源泉です。感謝と共に・・・。
    今度、SDに来られる時はお立ち寄りくださいね。一同、お待ちしています!

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